- 2021.01.05.Tue
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冬の朝としては暖かい陽がさしていた。そとに出て、風に柔らかく揺れる竹藪をながめていた。
しばらくそうしていると、工房の前を通りかかった軽トラが、僕を見つけてブレーキを踏み、ここより一段低い道に止まった。
車の助手席の窓がすぅーっと下がり、運転している男が背をかがめてこちらをうかがうと、大きな声で聞いてきた。
「何かあるかぁい」
しばらく見なかった顔が、運転席の奥の方にあった。鉄くず回収の男だった。
男はもう半年、いや一年近く来なかった。コロナの騒ぎがはじまってからは、初めてだろう。
久しぶりなので鉄くずも少しはあると思い、
「あるよ」といって、ぼくは建物の中に戻った。
男は軽トラを前の方に進め、車を下りて入口に立つとあらためていった。
「何かあれば持って行ってやるよ」
「少しだっていいんだよ」
ひさしぶりに聞く、お決まりのセリフである。
切れなくなった丸ノコの刃が二枚、空き缶がいくつかと、材木を縛る帯鉄が少々。
集めてみたがそれぐらいしかないというと男は、
「これっぽっちか」と小声でぼやいた。
「まあいいから車に持ってきて」。
あまり接近しないように気を使っているらしい。
鉄くず回収業なら、年の瀬のおそらくカキイレドキというのに、軽トラの荷台には、壊れた金属製の雨戸が二枚載っているだけで、寂しいものだった。
ぼくは、持ってきたものを雨戸の上にバラバラと落とした。
男は礼をいうでもなく、おそらくはボランティアで来てあげていると思っている風である。そしてのたまうのであった。
「世の中かわったよぉ」
「世の中かわったよぉ」
二度くりかえした。
でも、何がどう変わったとか、具体性がなくそれっきりなので、
「鉄の値段が下がった?」と投げかけてみると、
水平にした手のひらを下に押し下げる動作をしてみせ、
「下がった」というきりだった。
でもそれは相場で変動するものだから、世の中が変わったというほどのことでもない。
何だかよく分からないが、日々街中を軽トラで流している者には見えてくる、世の中の変化があるのだろう。ぼくみたいに仕事場にこもっているような人間にはわからないけど。
男は、「じゃあまた」といって軽トラを出し、交差点を曲がって消えた。
それからしばらくして、アスファルトの上に軍手が片方、落ちているのに気付いた。男が車に乗り込むときに落としたようだ。
黒ずんで、ずいぶんくたびれた軍手。
拾い上げると機械油でも吸ったのか、ずっしりと重い。そのうえ指先にはいくつも穴が空いている。
白い木綿の軍手もここまでになると、何かを表現しているオブジェのようだ。
さてこの軍手、どうしたものかと思ったが、悪いけど捨てるほかないということになった。
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- 2020.07.15.Wed
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甘楽町で家具作りを始めたころから、仕事で出るノコくずやカンナくずは、近くの畑にある堆肥場に捨てさせてもらっている。木くずも他のものと混ぜて山に盛っておくと発酵し、やがて堆肥に変わるのだ。
その堆肥場の隅に、いまクルミの木が青々と葉を広げている。
このあたりではクルミを植える家を見ないから、自然に生えたものだろうと思う。
最初ここへ来た頃は、まだ背丈をちょっと超えたぐらいだった。
それがいまでは、傍の電柱を追い越しそうな勢いである。
山の木と違って平地の木の成長は早いもので、あるとき気がつくともう仰ぎ見るほどの高さになっていて驚かされる。
密生した葉のあいだには、ところどころ若草色の実をつけていて、それが風に吹かれて落ちたのだろう、木陰にいくつも転がっている。
オニグルミは僕の使う木の中でも、クリと並んで多くて、好きな木のひとつである。以前は、原木市場でいいものがあると買っていたのだが、最近オニクルミはめったに出てこなくなった。
それと、クルミの実(種)から搾ったクルミ油は、テーブル天板のメンテナンス用などに使っている。
クルミ油は国産品にはないようで、ネットで注文するとフランスからの輸入品が届く。100%純正で食用とあるから、フランスではパンやサラダにかけて使うのかしらと想像している。淡い褐色の油で、なかなか香ばしい匂いがする。
先日近くの山歩きをしたとき、登山道にやはりクルミの大木があった。
それを見あげていたら連れ合いが、クルミの実は野生動物の食料になるのかと聞く。
どうだろう。
秋になって実が落ちれば、外皮はやがて腐ってなくなる。としても、中のあの堅い殻を、リスやタヌキが割れるだろうか。
よほど丈夫な歯と強靭なアゴがないと、難しいに違いない。人間が使うクルミ割りの道具にしても、ペンチを大きくしたような金属製のものである。
ひょっとして、熊なら割れるかもしれない。
でも殻が割れたところで、ドングリや栗と比べ中の実の部分はわずかだ。
しかも売り物みたいに、きれいに実だけ取り出せるわけじゃない。きっと殻のかけらが混じっているから、食べても口の中でガリっガリっと歯にあたるだろう。食感がすこぶる悪い。
苦労のわりに報われるところが少ないので、熊だってそんな面倒なことやらないんじゃないかと、これはぼくの想像である。
子供のころ、家の前を流れる川の土手にクルミの木があった。
秋になると大量の実を落とすのだが、それを拾って食べることはなかった。
落ちた外皮が腐って汚らしく、触る気もしなかったからである。
ましてそこから実を取り出しきれいに洗うなんて、子供には面倒すぎる。もっといい方法があったのだ。
ぼくの家は琵琶湖のほとりから、ほんの5分ほどのところにあって、子供のころは琵琶湖が遊び場だった。
水際の砂浜には、いろんなものが流れ着いた。
流木、ヨシ(葦)、漁具、死んだ魚、プラごみなどなど。そんなものと一緒にクルミも流れ着いた。
どこかの川辺で実を落としたのが、増水のとき琵琶湖に流され、波間をゆらゆらと運ばれてきたのだろう。砂浜に上がるころには、外皮はすっかり剥がれ落ち、きれいなクルミになっていた。殻が固く閉じているから水は中まで入らないらしく、食べるのは何の問題もない。
浜辺をしばらく歩くと、10個ぐらいはすぐ見つかった。
それを拾って帰って、物置から金づちを持ち出し、石の上で割るのである。(何だか縄文時代の採集生活みたい。)
クルミは無造作に割ろうとすると、ぐしゃっと中身ごとつぶれてしまう。
そうなると、食べるのが大変、あとで堅い殻のかけらを噛むことになる。
殻の合わせ目が上にくるように石の上に置いて、そこをめがけて一撃を加えれば、殻はきれいにふた手に割れる。
しかし毎回そう上手くいくとは限らない。
首尾よく殻がきれいに割れて、実が粉々にならずに大きいまま取り出せたときは、ご満悦だった。そんな気がする。
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- 2020.01.13.Mon
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その初老の男は、3ケ月に一回が、あるいは半年に一度、ふらりと僕の仕事場に現れる。
わたしはその男が、どちらかといえば嫌いなのだが、そんなことはお構いなしに、定期的にやってくる。
引き戸がガラガラーと、勢いよく開いたとおもうと、コンニチワの声。
その「コンニチワ」のアクセントに特徴があるので、姿を見ずともその男とわかる。
行くと入口に愛想のない顔がぬぅっと立っていて、そして言うセリフはいつも決まっている。
「何かあるかい」
「あれば持って行ってやるよ」
男は、鉄くず回収に廻っていて、途中ウチにも寄るのである。
前に止めた軽トラックの荷台には、錆びたパイプや壊れた自転車だのが無造作に放り込んである。
うちは木工所だから、鉄くずなんかそうは出ないが、工房の中をさがせば少しは集まる。
切れなくなった鋸刃や空いた塗料缶、材木を縛ってあった帯鉄、針金やビス釘のたぐいまで集めれば、バケツ半分ぐらいにはなる。
「まあ、こんなぐらいしかないけど」と、いちおう恐縮するぼくに、言うことはいつも同じで、
「いいんだよ、いいんだよ。少しだっていいんだよ」
もちろんそれっぽっちなので、お金のやりとりはない。
こちらも不要なものが少し片付くので助かる、ともいえる。おたがいフィフティーフィフティーの関係。
だけど、オジさん、何か言い方が違うんじゃないかって、いつも思ってしまう。
一般論として、オジさんにとっては飯のタネの鉄くずを、たとえ茶碗一杯でも、提供してくれた人は、おじさんにとってはお客さんになるわけで、「やってあげてる」みたいな言い方は違うんじゃないか。
いや、ありがとうございますの一言があってもバチはあたらないと思う。
それはいまどき、子供でも分かりそうなことだけど、オジさんはこれまで、そんな常識というか世渡りの知恵と無縁に過ごしてきたのだろうか。
他人の下で働くとか、お勤めに出るとかすれば、当たり前に身に付くことだけど、そんな経験もなかったのだろうか。
お愛想でも、ありがとうございますってぺこりと頭を下げれば、家々からお呼びが掛かるかもしれないのに、なんて思うのだが。
まぁ大きなお世話かもしれないし、聞き流せばすむことなので、意見することもなく過ぎている。
ぼくが鉄くずを集めている間に、オジさんは工房を見回しながら独り言のようにいう。
「やっぱ木のニオイはいいねぇ」
「オレは木のニオイが大好きだ」
またこうも言う。
「手に職があるってのはいいねぇ」
そんなにいいことばかりじゃないけど。
ところで、オジさんの人生はどんなものだったのですか?
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- 2019.02.10.Sun
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職業について聞かれたときどう言えばいいのだろう。
ひとは僕のことを、家具職人だとか、家具作家とか、家具屋さんとか木工屋さんとか呼ぶのだけど、どうもすっきりとこないでいる。
家具職人というと、町の木工所でそろいの作業服着て働いていそうなイメージだし、家具作家なんて持ち上げられると、ひな壇に座らされてるみたいで、なんだか落ち着かない。
家具屋さんだとお店の人と勘違いされるし、木工屋さんは建具も家具も木型も太鼓のバチからお椀まで守備範囲が広すぎる。
それで自分から名乗る必要があるときは、「家具作ってます」ということが多い。
でもそれじゃ職業名とはいえないし、名詞形では何て言えばいいかと考えたことがあるが、適当なのが思い浮かばなくて、まあそこは何でもいいやということになった。
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- 2018.12.31.Mon
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Aさんとは、確か15年ほど前からのお付き合いになる。
最初テーブルを頼まれて以来のお客さんで、納品してしばらくすると、今度はこういうものが作ってほしいと、次なるアイデアを持ち込まれる。
ときに2年ほど間があくこともあったが、また忘れたころに連絡が来て、ご無沙汰してますがお願いしたいものがあって・・・、となる。
頼まれるものは必要に迫られてというより、ご本人曰く、木のモノが好きでたまらないという理由の方が大きい。
そんなふうだから、家じゅう家具で埋まるぐらいなのだが、まあ病気みたいなものだからしょうがない、とご本人。
さてAさん、どんなお金持ちかと想像をふくらませたくなるが、これは最近になってご本人からうかがったのだが、現在はタクシーの運転手さんをされているとのこと。
実はAさんにはもう一つ趣味があって、オーディオマニアでもある。先日の納品時はオーディオルームを増築中とあって、いくつもの機器が部屋のあちらこちらに仮置きしてあった。
わたしはそっちの方には素人同然だが、興味がないわけでもない。
男の子はオーディオとかカメラといったメカニカルなものに、心惹かれた経験を一度ならず持つものである。
増築した部屋に、でっかくて、めずらしい形のスピーカーが置かれていた。
「これはどこのスピーカーですか」
「イギリスの古いタンノイのスピーカーユニットだけど、ボックスは今のもの」らしい。確かに外観は新しい。
隣の部屋にはレコードプレーヤーが白い布をかぶっていた。
こっちも古いターンテーブル、それにあつらえて木のベースを作ってもらったとのこと。ベースが半端なく分厚くて、重量感がある。
そしてその隣には大きな真空管アンプが鎮座している。
広い基盤の上に真空管がいっぱいのっかっている。飾りも何もない、ただパーツを組んだだけに見える、なんとも素っ気ない機械。
でもこの武骨さがまた、たまらないんだろうなぁ。
「真空管ですね」
「これは現在も作られているアンプだけどね、真空管は中国製かな」。「もう日本では作ってないから」。
「でも最近はロシア製の真空官がいいって言う」らしい。
ここから突然、Aさんの話が飛んだ。
「西川さんの歳なら知ってるかなぁ」
むかし東西冷戦のさなか、ソ連のミグっていう戦闘機が、函館空港に強行着陸して、パイロットが亡命したことがあった。
そのときミグ戦闘機をばらして調べてみたら、当時はすでにトランジスタの時代だったにもかかわらず、まだ真空管が使われていたので、ソ連は遅れてるって日本の技術者はバカにしたらしい。
「けど真空管は作動が安定しているんだよね」とAさん。遅れてるとばかり言えないのである。
「確かベレンコ中尉、よく憶えてます」
もう半世紀近く前の記憶がよみがえった。
わたしたちは科学技術は年々進歩していると信じて疑わないが、ことオーディオの世界において音質を追求すれば、いまもテクノロジーをあざ笑うかの如く、昔のものが幅を利かせている。不思議な世界である。
ついでにもうひとつ不思議なのは、これは自分の記憶力のことですが、昨日会ったばかり人の名前も忘れるくせに、半世紀ちかく前のソ連人パイロットの名前をそらんじているのは、如何なる脳ミソかと思う。
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