土曜日の朝、まだ午後の納品までには間があった。時間つぶしにと、手もとにあったエッセイを読みはじめたら、蛇蝎という言葉でつまずいた。「だかつ」とルビが振ってある。
文中に蛇蝎のごとく嫌うとあるので、蛇ともうひとつ嫌われ者を並べているのは分かったが、「蝎」は何だろう。調べてみるとサソリのことである。サソリは日本にはいないので、蛇蝎は中国から来た熟語かと思われる。中国は広いから、サソリも居るのだろう。蛇を「だ」と読むのもめずらしい。
その嫌われ者の筆頭であるヘビは、わたしも大の苦手である。
できればこの目に触れないところで存在していてほしいと願ってやまない。夏の草むらを歩くときは、ヘビがいたらどうしようと思うだけで気疲れしてしまう。
とはいってもここは田舎だから、仕事の行き帰り道にアオダイショウを見かけることも間々ある。工房のまわりでも、年に一度や二度はヘビにいきなり出くわして肝を冷やすのだが、どうしたことか今年はまだ遭遇した憶えがない。いや一度ぐらい車の中から見たかもしれない。としても、もう秋口に差しかかるこの時期になって、めずらしい年もあるものだと思った。
納品は12時に出発した。うちから軽井沢までは案外近く、下道でも1時間ほどで着く。
きょう納品する家は、別荘地にあるが別荘としてではなく常住されている新築家で、今回が2回目の訪問になる。2回目だからと地図も番地の書いたメモも持たずでかけたら、道に迷ってしまったが、小さいものの納品だったので、3時過ぎにはもう用件が済んだ。
このまま帰ってもいいのだが、このすぐ近くにセゾン美術館があるのは、前回来た時から分かっていた。まだ時間もあるし、せっかくなので寄っていくことに。
1年半ぶりぐらいだろうか。ここは割と好きな美術館のひとつである。
美術館の好き嫌いの判断基準は、まずコレクションが自分の好みに合っているかというのが一番で、あと他にロケーションがいいかどうか、建物がイカシテいるかなど。そして何より、すいていること。
人嫌いでは決してないが、混んでいそうな展覧会はまず行かない。
人が多いと、人ばかり見ている。美女を見つけるとなおのこと、そっちばかり気になるから作品に目がいかない、というのがたぶんその理由。この美術館はいつ来ても客が少なくて、わたし好みである。
もう大昔のことになるが、池袋の西武デパートに西武美術館があったころ、戦後のアメリカ現代美術をよくそこで紹介した。当時美大生だったわたしは展覧会の度に足を運んだ。
デパートの最上階に美術館があるのは今でこそ珍しくなくなったが、あれがハシリだったのではないか。商業施設に美術館というのは外国では信じてもらえなくて、展覧会をやるため海外の美術館から作品を借りるのに苦労したと、堤清二さんの回想にある。
ここセゾン美術館でサム・フランシスやジャスパー・ジョーンズなどの作品に会えると、やっぱり懐かしい。
別荘地のなかを5分も走ると池の傍に出て、そこが美術館の駐車場である。
車を停め、道を横切れば重そうな赤錆鉄の重そうなゲートが開いていた。
明るい林の中、コンクリート敷きのアプローチを進んで右手に美術館の建物が、と目線を落とすと、足元にヘビが、横たわっている。
一目散にゲートまで引き返す。
長さ80センチほどのが、アプローチの小路を通せんぼしていた。
どうもアオダイショウではない。茶色、なかでもコーヒーに少しミルクが入った、つまりカフェオレ色をしている。太くはないが頭から尻尾の先まで一本ちょうしで、まるでウミヘビのような。はじめて見るタイプだ。
ちょっと待っていれば立ち去る?かと期待したが、微動だにしない。
しょうがなくゲートから遠巻きにしていると、スーツ姿の二人組がやってきた。客と云うより美術館に用があるらしい、サラリーマン風である。
「ヘビがいるんです」、助けを請うのではないが、窮状を告げるも、時間がないのか二人組は、
「ほう、どれどれ」といった感じで、わたしに構わずずんずん進んでいく。
ヘビのいるところで立ち止まったと思ったら、ちょっと覗きこんで、
「ミミズじゃないのか」などと一言。
そんなでかいミミズがいるわけないだろ、いたらいたでそれも怖いだろ。
しかしそれでもまだヘビはぴくりともしない。が、飛びかかってくるようなこともなさそうである。
二人組はこちらを振り返って、「だいじょうぶですよ」と一言いうと、美術館に向かって行ってしまった。
そう、わたしものんびりしているほどの時間はない。二人組に続いて脇を抜けることにしよう。
実際は横たわるヘビの前も後ろも、すり抜けるに十分、広く空いている。
後ろは警戒するだろうから、二人組と同じく前を抜けよう。驚かさないよう、ゆっくりと抜けよう。
そろり近づいていくと、ヘビは小さな頭をわずかにこちらに振った。わたしを見ている。
ひるまず一歩、二歩、三歩、ゆっくりとヘビの目の前を過ぎる。でも4歩目にはもう限界、走り出していたのだった。
ヘビが嫌われる理由は、ルナールが「博物誌」のなかで断じているように、「長すぎる」からに違いないが、わたしなりにもうひとつ加えるなら、「静かすぎる」。
美術館の客は、土曜というのに多くなかった。幸い美女もいなかったようだ。
静かな館内に、そこだけ話声のする賑やかな一行がいた。中の身なりのいい初老の夫婦は大企業の社長と奥さまか、そのふたりに付き人が3人もいたので、めずらしかった。もちろん見知らぬ人だったが、付き人のうち二人は、先ほどの「だいじょうぶですよ」と声を掛けてくれた二人組だった。
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