Tさんは同じ町に住む木工職人である。
いつも肌色をした補聴器を左の耳に入れている。歳を聞いたわけではないが、八十をちょっと超えたあたりか。小柄だけど声は大きくて、元気のいいおじいちゃんといった感じの人である。
仕事場もうちの工房から近くて、車で5分程のところにあるのだが、歳が離れていることもあり、それほどのお付き合いはなかった。
1年か2年に一度顔を合わせるぐらいの間柄で、5年ほど前に、町のイベント会場で偶然会ったら、何か大病をしてしばらく入院していたとのことだった。また2年ほど前、車ですれ違った時は「おお、久しぶり」と声をかけられ、「どう、まだ(仕事)やってる?」なんて、お互い運転席から短い会話をした。
知りあったのはこちらへ来て間もなくのころ、もう15年以上前だったと思う。
最初、こちらから人づてに聞いて訪ねて行ったのか、それともTさんの方からうちの工房に来てくれたのか、そのあたりの記憶もはっきりしない。
木工といっても、Tさんの場合は家具や建具の職人ではない。かなり特殊なジャンルで、額縁を作る職人さんである。それも日本画の特注品だけを作る仕事らしい。
世の中にそんな職人がいるとはずっと知らなかったし、地方の町でそんな職業が成り立つというのは、なにか不思議気がするが、Tさんによるとこうだった。
仕事は東京の老舗の額縁屋さんから来ていたという。手紙かファックスかで額の大きさと、断面の形状が届く。それを木で作るのだが、最終的には木地の上に金箔が貼られたり、漆で塗装されたりすることがほとんどらしい。そういった最終仕上げは向こうでするので、Tさんは木地を作って東京へ持っていくまでが仕事である。中に入る絵は有名画伯のものばかりで、横山大観、東山魁夷、伊東深水、加山又造といった名前がすらすら出てくる。
その老舗の額縁屋さんは、若いころ飛び込みで入って仕事をもらえないかと頼んだら、やらせてくれたという。
「むかしはそういうことがあったんだね、45年前だよ」。
「最初作って持っていったら、これじゃ(出来が悪くて)うちでは扱えない、なんて言われてね」。
などと詳しく聞いたのは、つい先日のことである。
作業場は細い路地を奥に入ったふた間の平屋で、ひと間が機械場、もうひと間の6畳ほどが手加工の部屋になっていた。壁には面鉋(めんかんな)が何十本も並んでいて、以前は注文の度に額の断面の形状に合わせて、鉋を自分であつらえていたそうである。機械はごく基本的なのが3台あるだけなので、ほとんどを手作業でやっていたらしい。
先日、そのTさんが原付バイクに乗り、うちの工房にやってきた。
「ひさしぶりだねぇ」相変らず元気な声だった。
「使わない板があるんだけんど、もらってくんない?金はいらないから」。
話はどうやら、いよいよ仕事場を片づけるらしいのだが、切りだし方が唐突である。
「おれじゃ重くって出せないから」というので見に行くと、長さ3メートルのキハダの厚板で、確かに重そうだった。
このところ仕事はしていなかった様子で、作業場はひと気のない空き家特有の淀んだ匂いがした。機械もみんな処分するという。その場で、三つある内のひとつはうちで引き取ることになった。
名残惜しい気持ちもあるのではと思い、
「もう木工はやらないんですか」と聞いてみた。
「もう頼まれたってやらないよ。45年もやったんだもの」という答え。
われわれのような自営の職人が仕事をたたむ理由は、歳で体力気力が続かなくなったときか、注文が来なくなったとき、そのどちらかまたは両方と相場が決まっているが、そういう言い方もあったか。強がりではない。この人は湿っぽいのが嫌いなのである。
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