文字色土地は50坪の畑を譲ってもらえることになった。
畑と言っても、いわゆる不耕作農地で、長いあいだ使われず今は雑草におおわれている。
実のところ、土地が決まるまでは「ほんとに家建てるの?」って、自分のことをどこか疑っている自分がいたのだが、土地が決まると覚悟が決まるものだ。さあはじまるぞって感じ。
土地を探しはじめたころは、新聞の折り込みやネットの不動産情報を見て、よさそうな物件があれば現地に出向くというようなことをしばらくやっていた。そうやって造成された土地を幾つか見ているうちに、自分はどうも違うんじゃないかって思いがしてきた。
ナマイキなようだが、造成して四角く区割され、どうぞお建てくださいって準備された土地にあまり魅力を感じないというか、面白さがないというか。自分のなかの天の邪鬼がそうささやくのである。
例えは悪いが、手だれのオネエさんが客待ちしているような風景。
またちゃんと造成されたところは、当然ながら値段もそれなりにした。もうちょっと変わった土地でいいから、安いのがないのかという思いもあった。
自転車でこの辺りを走っていると、空き地というか耕作していない農地がずいぶん目立つ。地方はどこもそうだと思うが、いま農家の高齢化と後継者不足が深刻である。
草ぼうぼうでほったらかしの田んぼや、草刈りはしてあるものの何年も作物を作っていない畑があちこちにある。空いた土地はいくらでもあるのだ。
そしたら自分でよさそうなところを見つけて、持ち主を捜して交渉してみればよいのではないか。その方が合理的。まあ時間もあるし、20年も住んでいれば、どこにどんな畑があるかぐらいは、何となく頭に入っている。
というわけで、方針を変えて農地さがしを始めた。
付近で農作業をしている人に聞けば、それはどこの誰それの畑だと、皆さん親切に教えてくれる。
地主さんの家族構成や家の地図まで描いてくれる人。「いきなり希望の金額なんか言ったらだめだぞ。まずは安めに言って相手の出方を見て。それで向こうがいくらって言ったら、ちょっと値段を上げてみる・・・」。なんて、見ず知らずの私に交渉の仕方を指南してくれるオジサンもいた。
こういう田舎の大らかさ(個人情報なので役所は教えてくれない)は有り難かった。
さて、やりはじめて分かったことは、農家は基本的に土地を売りたがらないということ。
現在使っていようがいまいが、手がつけられなくて持て余していても、他にいっぱい土地を所有していても、農地を手放すというのは農家にとって最後の選択であるらしい。
ご存じのように農地は宅地のように税金がいっぱい取られるわけではないので、持っていても大きな負担感はない。
それとたぶん、ご先祖から受け継いだものを自分の代で手放すということは、後ろめたさがあるんだろうと思う。そういう想像はしていたが、意外と心持ち固いものがあった。
「近所や親せきから色々言われるから、私が生きてるうちは売らないよ。」とはっきり言う人もいた。
余っている土地はいっぱいあっても、売り手が強くて、そう易々とは決まらなかった。
いくつか断られたり、値段が折り合わなかったりしたのち、売ってもいいよって言ってもらったところは、ほんとに狭いところである。農地としては家庭菜園ぐらいにしかならない。宅地としても、「こんなところに家が建つの」っていう狭さである。自分でも初め見たときは、ちょっと家は無理かなと思った。
いや、50坪あればそんなに狭くないはず。なのだが、そうでもない。
形状が細長い三角形なのである。底辺が12メートルで、長さが24メートルのほぼ二等辺三角形。尖った楔型(くさびがた)の土地は、見たところ30坪ぐらいの感じである。(後に地主さんに交渉に行ったら、「あんな30坪ばっかのとこじゃ家は建たんでしょ」と言われた。)
一般的に建築は四角が基本だから、狭い三角の土地だと収まりが悪いというのは素人でも察しがつく。
南側が長く農道に面している土地。車はほとんど通らなくて、犬の散歩やウォーキングの人がたまに通るぐらい。だだし便利のいいところにあって、銀行、スーパー、コンビニが近い。
当初から気になる畑地ではあった。近所の人に聞いたら、ずっと何にも使ってなくて、たまに人が来て草を刈っているとのこと。「ここなら喜んで売ってくれるよ」とおっしゃる。
そうかもしれないけど、家はちょっと建たないんじゃないかって。都会なら狭小土地に狭小住宅もありだが、こんな畑ばかりのところで、それはないでしょう。
他にも候補地があったので、相談に乗ってもらっている設計士の相崎さんに、他と一緒にこの畑も見てもらった。
そしたら、「建つ、建つ。全然問題ない。かえって面白いものができるよ」と力強いお言葉。「広い土地なんて要らないよ」。
今思うと、この「面白いものができる」ってところに反応したんだろうな。
建築は土地の上に建ち上がるものだから、どうしても土地の形状や、立地条件、環境によって出来るものが違ってくる。土地が普通でなければ、建物も工夫がいるのは当然のことである。その工夫が面白いものを生む。無難な選択をいくら積み上げてみても、面白いものはできない。天の邪鬼がそうのたまう。
相崎さんの一言で、なかなか決められない性格のわたしも、一気に決心がついたのである。
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