一昨年の地震の後、ぼくの住む所ではしばらくのあいだ計画停電があった。
日によって時間帯は違うが、一日2時間ほど電気が止まった。
煮焚きはプロパンガスがあるから困らなかったが、夜はロウソクの薄暗い灯りの中で過ごした。
4月になっていたとはいえ、夜はまだ肌寒く、古い石油ストーブを引っ張り出してきて暖をとった。普段使っているファンヒーターが使えなかったのである。
年代物のストーブはあまり具合がいいとはいえず、石油臭が部屋を満たした。
何もすることがなく、する術もなく、ただロウソクのオレンジ色の炎を眺めながら通電を待った。
妙に静かな時間だった。
人がみんな活動を止めて家に引きこもってしまったらしく、隣近所から人声や車の音がしなくなった。
またたとえ車は動かせても、行くところはなかった。
町中が静まり返ったさまは、むかし体験したバリ島のニュピ(島の人は一日飲まず食わずで外出もしない)を思い起こした。
スーパーに食品はなく、スタンドからガソリンがなくなった。
当たり前に思っていたことが、当たり前じゃなくなる日が来るんだということを、あのとき知った。
日に日に明らかになる震災被害の大きさと、どうなるとも知れない原発の事故。不安な時代の始まりの、そのとば口に立たされたような、なんとも重たい日々だった。
あれから二年半が経った。
ぼくの暮らしは、もうすっかり元に戻ったといえる。
歯車がごろりと回って、世の中が少し前に進んだ、そんな気になってしまうのだが、いまだ15万の人が、取り残されたように避難生活をしているという。
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