日曜日に来客があった。
あることで相談に乗ってもらっている若い営業の人で、家に来るのは2回目になる。
雑談をしていると、奥に見えるギターが気になったらしく、「ギターを弾かれるんですか?」と聞く。
一本のクラッシックギターが、部屋の本棚に立て掛けてあるのだ。
「ぼくは弾けないけど」、「綺麗なので、眺めているだけですよ」。楽器のように長い歴史を経て完成されたモノは、おしなべて美しいと思う。
また、家の中は家具も含めて、ほとんど直線的な構成なので、ギターの丸みを帯びた形がアクセントになっている。
もともと楽器と家具は親戚みたいな関係にある。
木を使う弦楽器やピアノ作りは木工そのものだし、スピーカーもそう。みんな木工品なのである。
日本のヤマハやカワイ楽器は、家具職人が西洋のピアノだったかオルガンだかを、真似て作ったのがそもそもの始まりだという。
そういえば、自分もむかし勤めていた工房で、パイプオルガンを作ったことがあった。パイプオルガンは、大雑把に言えば、大小の笛をキャビネットの中に並べたようなものだった。
営業の彼は、少年時代からギターが大好きだったらしい。バンドをやっていた時期もあるし、学生時代はギター屋さんでバイトしていたこともあるという。
いまも毎日弾くらしいが、クラッシックギターよりはフォークギターが多いと言う。
ビンテージなものから現代のまで、十数本持っていたけど、いま手元にはどうしても手放せない数本だけだと、名残惜しそうに言った。
うちにあるギターは、本来は女房のお兄さんの持ち物だった。
義兄は若いころギターを習っていて、テレビでギター教室の講師をやっていた、何とかって人が先生だと女房に聞かされた。
ぼくより5歳ほど年上の義兄は、横浜に住んでいたので、盆と正月と冠婚葬祭のときぐらいしか会うことはなかったものの、話が割と合った。
一杯入ると顔がすぐ真っ赤になり、「ヒロシくん、どう最近は?」って切り出すのがいつものパターン。お互いの近況や仕事のことを話したりしたが、あまり立ち入ったことは聞かなかった。
義兄は大学でタービンの研究をしていて、卒業後は東芝に就職して原発の技術者になった。
中間管理職の立場で出張が多いらしく、行き先は福島、新潟、福井だといった。何か問題が起きると、すぐ駆けつけなくてはならず、行けばしばらくは横浜に帰れないらしかった。
義兄は、そろそろ50に手が届くかという時期に、仕事の無理がたたったらしく、会社で会議中に倒れた。病院に運び込まれた当初は、一週間ほどで帰れるというはなしだったが、残念なことにそのまま亡くなってしまった。
去年13回忌をしたのだが、もうそんなに経ったかと思う。
その後、高崎の実家に里帰りした義兄の持ち物の中に、このギターがあった。
角がボロボロになった黒いケースに入れられて、しばらく物置にあったのを、そのうち、女房がギターを始めるんだといって持ち出してきた。友達と合奏のグループを作り、自分はギターの担当なのだと。
まったくの素人だったし、そのうち止めるだろうと遠巻きに見ていた。
教則本を見ながら、ボロンボロンとギターを鳴らしていたその女房も、兄を追うように4年前に亡くなり、そしてその半年後に、あの原発事故である。
去年の暮れに引っ越しをしたとき、もう持ち物は全部処分しようと決めた。
新しい家はとても小さくて、多くのモノは入らない。それとここで一度、一切合切をリセットして、ゼロから始めたかったのである。
とりあえずの生活に必要なもの以外は、捨てていくことにした。自分の中では、迷ったら捨てるを徹底した。
もう弾く人のいないこのギターも、当然のように捨てる気でいた。
そして引越しの当日、あの大混乱の中で、ケースから出して手に取った。一瞬迷ったものの、どういうわけか捨てられなかった。
それはおそらく、亡き兄妹の思い出といった感傷から来たんじゃなくて、ただ単に、美しいモノへの愛着だったと、強がり言うみたいだけどそう思っている。
スポンサーサイト