秋が深まって、日が短くなった。
6時に仕事を終えて外に出ると、あたりに闇が迫ってきている。
ついこのあいだまでは、この時間まだ空に茜色の夕日があったのに、いまはもう西の山並みの上に、透明なみず色の空がわずか残るばかりで、天空はほとんど真っ暗だ。
外のひんやりとした空気を肺に入れると、はるか西方の透明なみず色が、胸に沁みるようで、すこし物悲しい気持ちになり、ああ秋なんだと思う。
筆ならぬキーボードをたたく手が走って、美文調の書き出しになってしまったが、以下の話とは関係ない。
20代のころ、写真を撮っていた時期があった。
写真といっても、きれいな風景やポートレイトではなくて、郊外の見捨てられたような風景や、落ちているモノのスナップ写真を大伸ばしにして発表していた。
デジタル写真の現れるはるか前の時代で、フィルムのそれもモノクロ写真専門だった。
当時モノクロ写真は、フィルムの現像からプリントまで自分でやるのが当たり前で、というかそこも表現者にとってはかなり重要な部分なので、好きな人はみな自分でやった。
住んでいた府中のアパートの台所を暗室にして、現像から印画紙への焼き付けを夜中にやるのだが、今のデジタル写真と比べると、一枚の写真にとんでもない手間暇をかけた。
何でもそうだけど、そうやって手間暇かけないといいものは作れない。また作り手にとっては、その手間暇が面白いのである。結果、売れようが売れまいがどうでもよくて、たいていは売れない。
売れもしないものに手間暇をかける、いわば反経済。
昔の人はそういう遊び心を「数寄(すき)」とよんで大切にしたが、いつのまにかニホンは、効率よく金を稼ぐだけが正義のようなつまらないクニになってしまった、と元反経済活動家は思っている。
写真を撮るのは主に週末の休みで、愛用のニコンを肩に掛けて、一日中ほっつき歩いていた。
何か撮りたい対象があって探しているというより、歩き回ってるうちに何か撮りたくなるようなものに出会うんじゃないかという感じで、住宅街から畑から河原から昼の飲み屋街と、あてどなく彷徨った。
たいてい日の高いうちは、何もいいと思う対象には出会わない。日が傾くころになってやっと、風景やモノは存在感を増してくるのだ。
その日は、とある住宅街に迷い込み散策していたら、古いアパートが目に止まった。
木造モルタル造り二階建ての、おそらく築40年、50年といったところか。クリーム色の外装はかなり薄汚れている。外階段の造作が変わっていて面白いと思った。
アパートの前には古新聞か雑然と積み上げてあったり、子供の自転車が転がっていたり。前が舗装してなくて砂利敷きなのも、時代から取り残された感じである。
夕刻、あたりは薄闇が忍び寄ってきているが、今のうちなら何とか撮れそう。
ぼくの写真は、対象をじっくり観察してから撮るやり方である。
ほんの数カット撮れば十分だった。どのアングルがいいか、アップがいいのか引いて撮るのか、アパートのまわりを行ったり来たりしながら考えているうちに、いよいよ暗くなってきた。
何枚かシャッターを切ったのか切れなかったのか、もう忘れてしまったが、カメラを提げてぼくは砂利道に立っていた。
そしたら突然、アパートの中から女性が勢いよく飛び出して、こっちに向かって突進してきた。そしてぼくの袖口を両手でガツッと掴んだ。ひどく興奮したようすである。
「ナニしてんのよ」。
また奥さんの後を追って、旦那らしき人物もすぐさま飛び出して来た。「オマエかぁ」みたいな目つきでぼくに駆け寄って来る。
奥さんは、とうとう捕まえた、こうなりゃもう絶対離さないぞって感じで、いよいよ力を込めてぼくの袖を締め上げた。
「ナニやってんだよ」。
「おもしろいアパートだなって思って、写真を撮っていたんです」。
「どこがおもしろいんだ」。
「外の階段とか・・・」。
「こんな暗い所で写真なんか撮れるのか」。
「現像もやっているんで、増感すればなんとかなると・・・」。
それから自分のことを説明すると、少しずつ嫌疑が晴れたようで、奥さんの握力も少しずつ減じいきて、やがてぼくの袖から手が離れた。
どうやらこの辺りに出没している下着ドロに間違われたらしい。
そっちのスキ者じゃないんです。
騒ぎが終わると、お二人は背を向けて、とぼとぼとアパートに帰って行った。
短い秋の日はすでにどっぷりと暮れて、もう写真どころではなかった。
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