あんな長電話をしたのは久しぶりである。しかも相手は、よく知らない人だった。
最近群馬から東京に引っ越した友だちから、お隣のBさんの相談に乗ってあげてはくれまいかと頼まれた。それも家具や建築のことじゃなくて、まったくぼくの専門外のことで。
携帯の番号を教えてもいいかと聞くので、知ってる範囲のことならお話ししてもいいよと伝えておいた。
Bさんは友だち夫妻が群馬にいたときの隣人で、日本人だけどふだんはアメリカで独り暮らしている。年配の女性で、70は幾つか過ぎているらしい。
「アメリカ暮らしが長いけど、日本語は普通にしゃべるから大丈夫」。「だけど、中身はアメリカ人だからね」、と友達はいう。
年に数回群馬にやって来るだけなので、友達の家に行ってもお隣に人が居たことはなく、いつも雨戸が締まっていた。いまはちょうど群馬に来ているらしい。
その日の夜8時半ごろ、ちょうど充電中でコンセントにつながったままの携帯が鳴った。
おりしも食事中で、慌てて食べかけのものを飲み込み、電話に出るとBさんだった。まだもぐもぐしながらコンセントのところで床座りをして、話しをはじめることに。
話し方、声の感じは普通のおばさんという感じだろうか。
くだんの相談ごとは10分程説明しただけで、納得されたのかどうか、話は終わっってしまった。
ただせっかくだからもう少し話しましょうかって、口にはしなかったが、用件が終わってもなんとなく会話は続いた。
僕のことはほとんどBさんに伝わっていなかったとみえて、陶芸か何かをやっておられるんですかと聞かれる。
いや家具を作っていますと訂正したが、じつはぼくもBさんのことは何も知らなくて、アメリカのどちらに住んでいるのですか、というあたりから始めなくてはならなかった。
それからロサンゼルスの最近の住宅事情やオバマさんの移民政策のこと、日本の若者の意識の変化から、日米の中古住宅の価値の違い、サラリーマンの働き方まで、話は止まらなかった。
「アメリカ人は他人のことには干渉しないし、世界中からいろんな人が集まっているから、人とは基本的に分かり合えないものと思っているの」。
「でもお互い黙っていたら怖いでしょ。だから他人に、自分のことを安心してもいい人間だと伝えようとするの」。
「それで、道ですれ違えばハイって挨拶するし、知らない者同士でもすぐおしゃべりをはじめて、仲良くなろうとするの」。
「これは西部劇で見る、開拓時代からの伝統みたいなものね。昔は変な奴だと思われたら、ピストルでズドンでしょ」。
「でも日本人って、知らない者同士はぜったい話ししないのよね」。
こんな風にBさんは普段から、日本人の眼でアメリカを見、アメリカ人の眼で日本を見ている。
自分の中にふたつの物差しを持っているせいで、考え方が柔らかい。それは、むかし7年間ニューヨークで暮らした友だち夫婦も同じ感じがする。
比べようもないが、ぼくは20代の初めのころ、アメリカを3ヶ月かけて旅行したことがあった。Bさんの話は、そのときの記憶に繋がって、懐かしい匂いをかいだ気がした。
ロサンゼルスにはだだっ広い印象しかないと言うと、今はずいぶん都会になったとBさんはいった。
途中一度、電話回線がプツッと切れた。が、すぐまたかかってきて、「ごめんなさい。いまチャージしたから大丈夫」。それからまた、ひとしきりしゃべった。結局、2時間ほど話をしたことになる。
それが木曜の夜で、土曜日は用事があって東京に出かけた。
お昼は、最近東京に出るといつもそうなのだが、友達夫妻と待ち合わせをした。
そこで、Bさんのご主人がロスアンゼルスで保険の仕事で成功したこと。ご主人が亡くなったあとは、息子さんが保険の仕事を継いでいること。でもBさんは子供とは一緒に住まずに、自分で別の仕事を始め、その評判がよくて、忙しく飛び回っていることなどを教えられた。
長電話をしたけどずいぶん元気をもらった気がするというと、彼女はいつもそう、元気をくれる人だということだった。
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