よく散歩する公園の遊歩道に、トチの木が何本か並んでいる。
下を通るとき見上げると、隙間なく広げた大葉の間に、今年も薄茶色いピンポン玉ぐらいの実がたくさん生った。
もう何日かすれば実は地上に落ち、割れた外皮から栗色の丸い種がとび出して、そこかしこに散らばる。それは毎年目にするお馴染みの光景ではあるが、ああまたこんな季節になったかと思う。
公園ではだれも拾う人はいないが、トチの実はアク抜きをすれば食べられるらしい。
いまも地方に行けばトチの実餅が売られている。といってもそれ以外にどういう食べかたがあるのか、よくは知らない。
ぼくの好きな縄文時代の遺跡からも、トチの実が出てくるとものの本にあるから、食材として、この列島の住人との付き合いは古いのである。保存食として重宝したらしい。
アク抜きは、長い時間水に晒したり木灰に沈めたりと、栗やクルミや銀杏と比べれば相当な手間がかかる。そのためか、トチの実はだんだん隅っこのほうに追いやられて、食材としては忘れられつつある。
トチの木は、ときどき街路樹に植えられているくらいで、平地では見ることが少ないが、山に行けば巨木が多く残っている。昔から実を収穫するため、伐らずにおいた為だとおもわれる。
何年か前に、植林された杉山の中に、直径が2メートルはあろうかというトチの木を見せてもらったことがある。実を採らなくなっても、もう大きくなりすぎて伐採ができないということだった。また伐ったところで、急峻な山中では、ふもとまで運び出すことが難しい。
コブだらけの妖怪のような幹には、かつて伐ろうと試みた鋸傷が幾つかあるのだと、案内をしてくれた林業者に教えられた。
トチは用材としては家具材の他、こね鉢としてよく使わる。木肌は白くて緻密で、美しい杢が出ることが多い。好きな木のひとつだが、材木市場に出てくることは少なくなった。
もう10年以上前、ふらりと立ち寄った信州の材木屋さんで、大きなトチの板を見つけた。
製材してからずいぶん経っている様子で、倉庫の庇の下に桟積みした板が7枚ほどあっただろうか。
その中の大きいのを2枚、分けてもらった。長さが2メートルほどで幅は90センチ近い。板一枚でテーブルができる大きさである。
本来なら相当に高いモノだが、長い間在庫品だったためか、値段も安くしてくれた。
さっそく持ち帰って、工房の目につくところに二枚立て掛けてみた。
あらためて眺めてみと、さんざん木を見てきた目にも、やはり立派な板である。迫力が違う。
こういった大きな板は何回か買ったが、トチの木は初めてだ。特有のキラキラする杢がきれいで、テーブルに仕上げれば、さぞやと期待がもてる。
ただこういう特別な仕事は、いつ注文が入るか自分でも分からない。当てにせず気長に構えて、もしかしたら仕事にならずにずっと工房の飾りかもしれない。それでもいいかぐらいの積もりでないと。
そして実際のところ、10年ちかく工房の入口近くの板の間に鎮座したままだった。
すごい板ですねと何人もの人に褒めてもらったが、それでテーブルを作ってほしいという人は現れなかったのである。
そのうち僕の方も、忘れたわけではないが気に留めることもなくなり、日常の風景の一部に納まってしまった。
おととしの暮れ近くになって、知り合いの設計士Kさんから、テーブルを作ってほしい施主がいるから連れていくと連絡があった。
Kさんの設計する家は、木をふんだんに使い、なかなか重量感のある住宅である。
お施主さんと二人でやってきたKさんは、立て掛けてあったトチの板がいたく気に入って、施主に勧めてくれた。僕のほうでも、予算的にすこし譲歩したこともあって、何とかトチの一枚板に決まった。
それから何日かして、またKさんが別のお施主さんを連れて行くという。そして残ったもう一枚のトチの板をそのお客さんに勧めてくれる。
結局そっちはすんなり決まって、ひと月の内に2枚とも行き先が決まってしまった。
10年ちかく手がつかなかったものが、ひと月の内に2枚とも。
不思議だったけど、決まるときは案外そんなものかもしれない。
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