ひとつ年上の兄がいる。
製薬会社に勤めていて、学校を出てから同じ会社の営業マンを、かれこれ40年ちかく続けている。
世に言う転勤族である。同じ土地に5年と居たことがなく、いまは鹿児島に単身赴任をしている。
鹿児島の前は宮崎に5年ほどいて、その前は大阪だった。
岐阜にいるとき一度家を建てたが、ほどなく転勤が決まり、結局手放した経歴もある。
兄は、僕とはずいぶん違う人生を送っている。
遠くにいるので、普段はその存在すら忘れているほどだが、せんじつ、ふとその兄のことを思い出した。
そういえば、もう定年ではないか。
男ふたり兄弟というのは、何ともあっさりしているというか、素っ気ないというか、お互い何ごともないと、まず連絡するということがない。
群馬と鹿児島という距離も加担してか、近年ますます疎遠になっている。
最後に連絡したのは2年前のことで、ぼくがある書類にハンコをもらう必要があって電話して、それっきりである。
実際に会ったのは母親の一周忌のときだったから、もう6年近く顔を見ていない。
その間メールもなければ年賀状もない。ほぼ他人なのである。
こんなことはウチだけかもしれない。
まあ、仲良しではないが、べつに仲が悪いわけでもないので、連絡がないからとりあえず元気でやっているのだと、お互い思っている。
ただ定年になったかどうかは気になるし、また定年後どうするのかは知っておかないと。
母が死んで、空き家状態の実家のこともあった。
2年前の電話では、定年したら滋賀の実家に帰る気持ちもあるなんて言っていたっけ。
そう思い立ったのが夜中のことだった。気になりだしたら、すぐにでも聞いてみたくて、でもいきなり電話では何か悪い知らせみたいだし、びっくりするだろうから、メールしてみた。
返信が来たのは翌日の午後だった。
やはり、ことしの3月いっぱいで定年になるとのこと。
ただ、その後も1年ごとの契約で、引き続き契約社員として鹿児島で働くらしかった。
まだしばらくは単身赴任が続きますとあった。
兄は転勤ばかりのサラリーマン人生だったけど、定年後もまだ同じ会社で働くというのだから、まんざらでもなかったのだろう。
「それはよかったね」って返信した。
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