毎年この時期は、花粉症で苦しんでいる。
好きな山登りにも行けず、すっかり出不精になっているが、仕事はしょうがない。
このあいだ納品の帰りに研摩屋さんに寄った。久しぶりだった。
研摩屋さんといっても、普通の人には馴染みがないかもしれない。
手道具のノミやカンナの刃は自分で砥ぐのだが、木工機械の刃物は専門の業者さんに砥いでもらうのだ。幾つか溜ったら持って行くようにしている。
その日、息子さんはいないらしく、親父さんが薄暗い工場でひとり、砥石を回していた。
親父さんはしばらく体調を壊して休んでいたが、また戻ってきたらしい。
こんにちはと引き戸を開けて入ると、手を止めて顔を上げ、眼鏡越しにこちらを確認すると、機械のスイッチを切った。
「しばらくですね。忙しいですか?」
「忙しかぁないよ」。親父さんは、分かりきったこと聞くなよって感じである。
「これ別に急がないんで、お願いします」と、僕。
「そこんとこに置いとけばいいよ。で、どうだい。忙しいかい?」
「忙しくはないです。まぁ、何とかやることがあるぐらいのもんですよ」
「だったら、いいじゃないか」
いつものようにそんなやりとりをして、
「まったく、どうしようもないねぇ」と親父さんは口癖のように言うのだ。
それから親父さんは僕にソファを勧め、「まぁ、コーヒーでも飲んで行けよ」といって、奥から缶コーヒーを持ってきた。
親父さんがパイプ椅子に座り、僕はビニールレザーのソファに腰掛けて、しばらくのあいだ、世の中の景気のことをおしゃべりするのがいつものお決まりである。
目立て屋が廃業しただの、製材屋が少なくなっただの、木工機械屋が立ち行かなくなるだの・・・。
親父さんは景気が悪くなったといい、そうだよねってぼくは相槌を打った。
木工刃物の研摩屋だから、近隣の大工や家具、建具など職人や木工場で使った刃物が、ここに集まって来る。そういった仕事が減れば、たちまち研摩の仕事も減るわけである。
住宅の着工件数自体減っているし、工業製品化された家も多くなったために、木を使う場面は少なくなった。
これから先は少子化で、新築住宅はさらに減るだろうし、ますます大変ということで二人は一致した。
親父さんは、
「昔はよかったよ。もうあんな時代は来ないねぇ」と言い、
「オレみたいなもんでも、仕事してりゃ生活出来てきたんだから、時代が良かったんだよなぁ」。
そう振り返った。
「これからは、外国へでもどこでも出て行ってやるような仕事じゃないとダメなんだろうな」とも言った。
職人は時代時代の要求にほんろうされて、自分の手腕や能力ではどうしようもない部分がある。
景気がよいときは人手不足ともてはやされても、時代が変われば必要とされないことだってでてくる。
「時代が良かった」という控えめな言い方は、職人さんらしい言い方だと思う。
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