信州で山に登った帰り、小諸にある「道の駅」に立ち寄った。
いつもその道を通るときは寄ることにしていて、お目当てはクルミのおはぎ。それと少しばかりの野菜を買って、それがその日の夕飯になったりする。
駐車場に車を入れ、自動ドアをまたいで店内に入ったとき、あれっと思い振り返った。懐かしい人とすれ違った気がしたのだ。
道の駅の外に、建物の軒下を借りるような形で、幾つかお店が出ている。
その内のひとつで、入口の横で陶芸作品の販売をしていた女性が、店じまいをしていた。
知ってる人かもしれない。
夕刻になって時間が押しているのか、彼女はうつ向いたまま作品の片づけに忙しい。しかも、つば広の帽子をかぶっているので、顔がよく見えない。
「たぶんそうだと思うけど」
連れ合いが店内で買い物をしている間も、女性を遠くから観察させてもらった。
年齢といい、背格好といい、片方の脚をちょっと引きずって歩く仕草といい、間違いない。
ところで、名前は何て言ったっけ。
肝心の名前が思いだせない。死んだ女房の友達である。
まだ川崎にいたころ、女房が通っていた陶芸教室で一緒だった人。そのあと彼女は、夫妻で八ヶ岳の麓の八千穂に引っ越して、自分の窯を持った。
僕たちが群馬に来てからも、わりと近いといって訪ねて来てくれた。手土産に定年退職したご主人がチーズケーキを焼いてきてくれて、それがすごく美味しくて。
こちらから八千穂に遊びに行ったこともあった。
彼女はそれから再度佐久の街中に引っ越しをして・・・。何でも憶えているのに、名前だけが出てこない。
その後女房が亡くなってからは会ってないので、7~8年ぶりかな。そんな昔でもないのに、懐かしい。
名前を忘れるなんて情けない。声をかけようか迷った。
でもまた会えるかどうか分からないし、やっぱりここは声をかけて、すみません久しぶりで名前が出てこないんですって、謝ればいいんじゃないか。
買い物が終って、帰りがけに声をかけた。
「こんにちは」
はじめて彼女が顔を上げてくれた。やっぱり間違いなかった。
「グンマのニシカワです」。
「あらっ、久しぶり」。忙しくしていた手が止まった。
「どうしてる?元気?」
「ええ、元気でやってます」
「よかったわ」
「このあいだ近くまで行くことがあって、ニシカワサンどうしてるかねって話してたのよ」
そうやって立ち話しをはじめた途端である。
「あー、まだやってるよー」
声を上げて、ご婦人が駆けこんで来た。旦那さんらしき人も、駐車場から小走りで追いかけてきて、二人の間に割り込んだ。
「間にあったー」って言ってるから、お客さんらしい。何か買いたいものがあって大急ぎで来たようすで、一度帰って出直して来たのかもしれない。
彼女とはほんの挨拶をしたぐらいだったけど、仕事の邪魔をしては悪いから、「じゃあまた」と言って、そこを離れた。
結局、名前を聞く間もなかった。
それから、家に帰って女房の使っていた住所録をさがしたら、だいぶ昔のものが出てきた。
その赤い小さな手帳を開くと、そこだけ時間が止まったまま、懐かしい名前と、今は到底住んでいそうにない古い住所が、細かな字で書き留めてあった。もう亡くなった人もずいぶんいる。
あ行から順に繰っていったら、あったあった。Tさん。そう、そう。Tさん。
Tさんはあのころ調布市にお住まいだった。Tさん、また会えるよきっと。
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