ひたすら歩き続ける人がいる。
それが健康にいいからとか、ダイエットのためとか、そういうことではない。
目的も行先も決めずに、一日中ただひたすら歩く人である。
たぶん、何らかの内的な要求から、歩かずにはいられないのだろうと思う。
どこの街にも、きっとひとりふたりはいるのだろうけど、この町にもそういう歩き続ける人がいる。
小柄な男の人で、うつむき加減に、ひとりでトボトボと歩く姿をよく見かける。
見るのはたいてい、ぼくが車の運転中になのだけれど、道の駅の食堂で合うこともあるし、総合病院にいたこともある。そのときは転んで怪我でもしたのか、頭に包帯を巻いていた。
いつも買い物に行く隣り町のスーパーでもたまに見かけるが、車で行けばわずかな距離でも、歩けばなかなか遠いところである。
ある夏の日は、炎天下帽子もかぶらずに歩いていたり、また冬の雪が降りしきる中で、手ぬぐいで頬かむりをして歩くのを目撃したり。
顔は、これ以上日焼けしようがないほど赤銅色に焼け返り、歳もよく分からないが、きっともう老人といってもいい年齢だろうし、大丈夫かなって思う。
ただ、住むところはありそうだし、よく知らない人だから、それほど心配する必要もないのだけれど、それでも気になるのは、年に何回か、工房に来訪があるからである。
仕事をしていると、入口のガラスの引き戸が、がたがたと鳴って、人の声はしないし、風のせいかと思うけど、でもいちおう気になるので見に行ってみる。
すると引き戸がそろそろと遠慮がちに20cmぐらい開いて、その間から赤黒い顔がぬっと現れる。
かなりびっくりする現れ方なのだが、来るときは、たいていそんな感じである。
それで、
「何でしょうか」って聞くと、
「〇〇〇歯科よろしく」という答えが返ってくる。
というか答えにもなっていないけれど、実際にある歯科医院の名前だし、ご親戚なのか、ご近所のよしみかよくわからない。
照れくさそうに申し訳なさそうにそう言うと、踵を返してまたトボトボと歩き始める。最初のころはそんなやりとりが多かった。
またある秋に来たときは、戸を開けるといきなり柿の実をひとつ、さあどうぞって感じで、黙って差しだした。
近くの畑の柿の木からもいできたなって、ピンときたけど、もらわないのも何だし、
「あっ、どうも」っていただいた。
それで帰ってもらったと思ったら、しばらくしてまた入口のガラス戸が鳴った。
出ると、手にはさらにもうひとつ柿の実が。えっ―、また取ってきたの。
まあせっかくだし、二個目もありがたく頂戴した次第。
ぼくが工房にいないとき、来たこともある。
ちょうどその日は、仕事を手伝ってもらっている引田君がひとりでいて、応対した。
引田君は初めて見るおじさんが、ぼくの知り合いだと思ったらしい。
愛想よく出たら、おじさん、ズボンのポケットから5千円札を取り出して、いきなり引田君の手に握らせた。
引田君これにはびっくりして、
「こんなのいただけません」とひたすら固辞し、何とか引き取ってもらったという。
最後に来訪があったのは、去年の暮れだったが、そのときは戸口で、
「古材(ふるざい)は使わないか」と、めずらしいことを聞いてきた。
歩いていて、どこかで古材の山でも目にしたのか、うちなら何か役に立つと考えたのだろう。
ちょうどバタバタとあわただしくしているときで、
「うちは古材は使わないんで」
ぼくが素っ気なく答えると、いつものようにトボトボと引き返していった。
じっさい古材は使わないし、そう言うほか無かったが、ちょっと冷たい言い方だった気もしている。
そしてそれからは、しばらく訪問がない。
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