実家は、築40年になる田の字の間取りの、ありふれた田舎家である。
奥の間のいわゆる座敷には、幅一間の床の間があって、壁にはいつも何かしらの掛け軸が掛っていた。
ふだんは山水の水墨画のようなものを、正月には鶴の絵の軸、仏事には南無阿弥陀仏の書、といったように軸を掛け分けていたようだ。
これは漁師をしていたウチの父が、特に書画に凝っていたわけではなく、また美的生活の欲求などということはでは、もとよりなかった。いわば生活上の決まりごとのようなもので、田舎はどこの家でもそんな風だった。押入れには6、7本の掛け軸が入っていた記憶がある。
今は床の間がある家も少なくなったが、むかしはそうやって節目に掛け軸を取り替えたり、季節の花を生けたりして、家の空気の入れ替えをした。
そんな家だから大した絵があろうはずもないのだが、親父は「どうや、ええ絵やろ」なんていって、子どものわたし相手に自慢していた。お茶飲みに来た近所の人に、「ええ軸ですなぁ」なんてお世辞を言われたりすると、顔がほころんでまんざらでもないみたいだった。
いまにして思えば、親父はいくらか絵が好きだったのかもしれない。
中学生時代、わたしは美術部だった。昼休みにはよく図書室へ行って、画集を飽かず眺めていた。お目当てはもっぱら西洋の油絵で、ルネッサンス絵画のリアルな描写や、印象派の光あふれる風景画に心を奪われたものの、親父の黄ばんだ掛け軸には、何の興味も湧かなかった。
いまはもう絵を描くこともないが、絵を観るのは好きだ。ただ買ってまで欲しいと思ったのは、Oさんの絵が初めてかもしれない。
先日個展があったOさん夫妻は群馬にきてから知り合った方で、わたしよりだいぶ年上なのだが、友達のようにしてもらっている。ときどき工房に来られたり、お宅にうかがったり。展覧会の前などに、少しお手伝いすることもあった。
Oさんの小品が2点、ウチにあるが、こんど来た3点目が下の作品で、実はこれ、いただいたものである。
先日個展の終わった後、お茶でもしようということになって自宅にうかがったら、帰り際になって、「どれか気に入ったのがあれば持って行って」と、作品を3点机の上に並べられた。
「しまいっぱなしで忘れてたのが奥から出てきたから」なんて気遣っていただいて。
今回の個展では立体の大作が何点かあるので、設置のお手伝いを頼まれた。そのお礼にと言うことなのである。なんともカタジケナイことではあるが、ありがたくいただいて帰った。
さて家に着くなり、ムスメが暇そうに寄ってきたので、
「どう、この絵いいでしょ」、40年前の父ではないが、中三の子ども相手に自慢をしてしまった。
「いいじゃない」。娘は意外と素直であった「買ったの?」。
「もらったの」。
娘には、「今度買うなら明るい色の絵にしたら」と言われていた。お望みどおりだったわけだ。
スポンサーサイト