群馬に来て何年かたったころ、古家を見に行ったことがある。
「売り家あり、興味のある方はどうぞ。」という小さな投稿記事を雑誌に見つけて、ちょっとその気になったのである。家はここから小一時間ほどの田舎にあるらしかった。
住む所にとりたてて不自由していたわけではなかったが、売り主の書いた説明を読むと面白そうな家だったので、興味本位で出かけたのだ。
確かに変わった家だった。真ん中が口の字にぽっかり空いた、回廊型住宅とでも言おうか。
所有者の奥さまが対応してくれて、居間でお茶を飲みながら話をうかがった。
何でも、絵描きをしているご主人が自分で設計をして建てたのだが、別のところに古民家の空き家を見つけて大層気に入ってしまい、引っ越しを企てているのだという。
自分はいま家具を作っているが、以前は絵を描いていた時期もあると自己紹介すると、大いに興味を示してくれた。
「あいにく旦那は留守でお会いできないけど、そのうちどこかで出会うでしょうから」。奥さまは自信ありげに言われた。
「そうですね」、ぼくはあいまいに笑ったのだが、内心は「まあそんなこともないんじゃないか」と思っていた。
ところがそれから何年かのち、場所はどこだったか忘れたが、奥さまの予言どおりその絵描きさんと出会うことになったのである。年はだいぶ上だが、同じ大学の出身だった。
「あのとき、家を見に行ったのは僕ですよ」、なんて話を確かしたっけ。
家はどなたかに売れ、その後引っ越した先の古民家にも伺った。ちなみに、そこをリフォームするにあったって彼が見つけてきた設計士さんは、僕の友人である。
そうやって、みんなつながっていく。
思いつくままにもうひとつ。
骨董は嫌いじゃないけど、骨董店はちょっと敷居が高い気がして、店に入ることはない。
それが何十年かぶりに行くことになった。仏像を買ったのである
仏像といっても仏師が彫った本格的なものではなく、千体仏といって信徒が寺に奉納した小さな民衆仏である。おそらく百姓が自らの手で彫り上げたものだろう。江戸時代の仏さんかと思われる。
特別仏像が好きなわけではない。
ネットのオークションサイトを見ていたら、その千体仏が出ていて、なんかいい感じかなと思う瞬間があったのである。好きになったというより、一度こういうのを手にしてみたくなったと言う方が正確かも。
いいかげんな動機で落札してしまったのだが、いかんせん数千円のものだから、骨董品としての価値があるとは思えない。
出品者は群馬県とある。メールで確認すると、高崎の骨董屋さんだった。それで、発送は不要、店に取りに行くからといって出向いたわけである。
翌日店に行くと、仏像は机の上に用意してあった。店主はそれを新聞紙にくるくるっと包んで、ハイと手渡した。骨董屋さん全般がこういう安気さなのか、それともその程度のお品ということなのか、その辺のところはよくわからない。
店は珍しいものでいっぱいだった。愛相のいい人で僕の様な素人にもいろいろ説明をしてくれる。
そんな中でガラスケースに収まった小さな仏像が目に止まった。ぼくの買ったのよりずっと小さいが、作りは精巧である。鎌倉時代の作という。お見せしましょうかと言われたが、辞退申し上げた。お高そうなものは眺めるだけで。
その仏像、残念と言えば蓮弁の台座だけが新しかった。店主によると、台座は失われていたので、木彫の作家さんに作ってもらったという。
話を聞いていると、どうもその作家さんは僕の知っている人かもしれないと思い、
「ひょっとしてMさんじゃないですか?」。聞くとやっぱりそうだった。
ときどき店に来るのだという。そうかこんなところに出没していたのか。
それから半月ばかり経ったころ、当のMさんからタイミングよく個展の案内状か届いた。前橋の画廊である。
一筆あって、「西川さんが来たよって骨董屋さんから連絡がありました」。ボールペンの文字がうれしそうだった。
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