ずいぶん高いところに窓を造ったもんだと思った。
ダイニングの天井にへばりつくように取り付けた、横長の嵌め殺し窓のことである。
片流れに傾斜した天井は、ここが一番高くて、3メートルほどある。当然ながら、窓下の壁は広く空いている。
南側の窓なんだから、もうちょっと低いところに空ければ、外の景色がよく見えたのに。なんでそうしなかったんだろうと思ったのだが、しばらくして当時のことを思い出した。
暮れから引っ越しや何かで忙しかったせいか、もうすっかり忘れてしまっている。
じつはその窓の下には、壁付けの大きな本棚を作る計画だった。ところが建築途中に考えが変わり、本棚をやめたのだ。既に窓は取り付けてあった。
窓は本来の高窓のまま、設計図にあった本棚がなくなって、白い大きな壁が残ったというわけである。
その壁下に作り付けたデスクで、いまこの文章をポツポツとパソコンに打ちこんでいる。
見上げると、高窓に細長く切り取られた空が目に眩しい。
空と雲しか見えない窓は、刑務所の独房の窓みたいなものかと考えたのだが、そこはいまだお世話になることなく過ごしている。
高窓のある南側は、壁一枚隔てて道路である。
道は農道のような狭さなので、車はめったに通らないから、終日いたって静かである。ただ朝夕の散歩の人はけっこう多くて、やはり人目は気になる。
そのためダイニングの西側の窓はいつもブラインドが下がったままだし、リビングの掃き出し窓は、一日中レースのカーテンを引いている。
南を高窓にしたのはそんな事情もあった。
道路の向こうは広い畑で、大きなビニールハウスがいくつも建っている。そのハウスも先日の大雪ですべてぺしゃんこになってしまい、現在建て替え中だけど。
ハウスの先は、小さな山というか、丘が盛り上がって雑木が茂っている。竹藪にアカシヤとコナラとおぼしきが混じる里山が、この家の借景といえば言えなくもない。そこまで目測で、150メートルぐらい。
すこし離れて台所に立つと、高窓からこの里山の木々の梢が見える。
この高窓だけは、他と違い嵌め殺しにしたので、窓はガラスの入る外枠だけで仕切りも網戸もない。そのせいか、ありふれた山の景色が、一幅の絵みたいにかっこよく映る。ちょっとうれしくなる。
人間は動物的本能なのか、定期的に外の様子が気になるものらしく、この高窓の外をときどき見遣っている。家事をしながら、ご飯を食べながら、カーテンもブラインドも下がっていないこの窓の外を、意識するでもなく見ている。
目に映るのは、日ごと時間ごとに違う空の色だったり、木の枝が風に吹かれるさまや、雲の流れるようすだったり。
夜、枇杷色の満月が、この窓にぬうっと現れてびっくりすることもある。ちょうど月の通る高さに窓が空いているらしく、それが半月になったり、切り爪のように細い月になったりする。
何でもない見慣れた風景が、窓枠に一部切り取られることで、かえって目を引くし新鮮に感じるということに気付く。なにも計算したわけではないが、この高窓でよかったと思い始めている。
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