女房の実家でケヤキを伐採してもらった。
屋敷の北側の塀に沿って立っていたのを、大小10本ばかり伐った。
実家といっても、義父母はすでに亡くなっていて、女房が死んだあとは継ぐ人もいなくなった。
さいわい親戚の者が借りてくれているので、不用心ということはないのだが、何かしら問題が生じると、ぼくのところに連絡が入る。
そろそろ庭木の剪定をしたほうがいいとか、水道管が破裂して水溜まりができているとか、庭をつぶして駐車場を広げたいとか、みんなお金の絡むことである。
裏のケヤキが一本立ち枯れしているという話は、去年の暮れから言われていた。
最初は立ち枯れした一本だけを伐って、あとは伸びた枝を落とすぐらいのことを考えていたのだが、業者さんが言うには、これより大きくなると、伐るにしても枝をはらうにしても、大型のクレーン車を呼ばないと出来なくなるそうで、そうなると費用も相当かかるとのこと。今ならまだ、業者さんの持っている機械でも伐れる高さだという。ちなみに、大きい木は20メートル程あるらしい。
相談する人もいないし少し迷ったが、このさい思い切って全部伐ってもらうことにした。
女房がいたら、昔からある木だからとか何とか言って、伐らせなかったかもしれない。
こういうとき自分は合理的な答えを捜してしまうが、彼女は情緒的にものごとを考える人だった。
いちばん太そうなのの年輪を数えたら、80年ほどあった。
80年前、義父はまだ子供だったから、おそらく女房の祖父の、カネサクさんが植えた木である。
古くから関東の農家では、将来の普請にそなえて屋敷内にケヤキを植えた。この辺りでは、いまも敷地の中に大きなケヤキが立つ家をよく目にする。
最初一本か二本植えたのが、あとは種が落ちて自然に増えたのだろう。
ケヤキは大黒柱や梁のような建築材として秀逸で、また家具や仏壇、お盆、お椀の木地にいたるまで様々に利用されてきた。その木目の美しさから、昔から高級材の代名詞みたいな存在だったのだが、このところすっかり人気がない。
欠点は、重くて堅いこと。要するに加工性がすこぶる悪い。そのうえ乾燥には年月がかかるし、狂いも出やすい。
効率を重視する今の住宅の作り方には合わなくなってしまった。また使わなくなるにつれ、ケヤキのような木を扱える大工さんも少なくなった。このごろ原木市場では、売れ残ったケヤキが目立つ。
それなら家具には使えないのかといわれる。
そうできれば一番いいのだが、屋敷から引っぱり出して運搬してもらい、製材、乾燥と、かかる手間と費用を考えたら、それなりに気に入った木じゃないと、なかなか手を出す気になれないのが正直なところ。
腰痛持ちには、なおのこと気が重い。
伐採業者は、持ち帰って処分するとなると別料金がかかるので、場所に困らないのなら、伐り倒したまま放置して、腐るのを待ったほうがいいですよと言う。
時代が違うとはいえ、カネサクさんが聞いたら、泣きたくなるようなことになっている。
考えられる活用法としては、切り刻んで薪ストーブの燃料にするぐらいか。
話のついでに、女房から聞いた昔のこと。
女房が子供のころは、実家は代々受け継いだ大きな百姓家だった。
煤けた屋根裏に、青大将が棲みついていて、家の守り神のように思われていたという。
あるとき東京から親戚が来て居間で話をしていた。
隣の座敷でドスッと音がしたのでふすまを開けると、畳の上に大きな青大将がいて、上から落ちてきたらしい。
その夜一泊するつもりだった親戚は、引き留めるのも聞かず、予定を切り上げて東京へ帰っていった。
また、そのころはまだカネサクじいさんが居た。
カネサクじいさんは酒が好きで、年老いて足腰が利かなくなってからも、寝床から這って台所まで行き、家人の目を盗んで酒を飲んでいた。
(※若いころ、この話を聞いてカッコいいと思った。)
ぼくは、古い百姓家もカネサクさんも直接は知らない。
古家が建て替えられたあとの新宅から、ぼくがここに顔を出すことになる。
そしてその新宅も15年ほど前に再度建て替えられて、今の家になった。
二度の普請があったが、ケヤキはどこにも使われなかった。
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