そんなこともやるのかと思われるかもしれない。いま桐箱の修理をしている。
古くからの知り合いが持ってきた、お雛様の箱である。
中身のお雛さんを飾ったあと、空いた箱を持ってきたのだから、すでに春先の話になる。
忙しさにかまけてほったらかしだったのを、「どうなった?」みたいな遠回しの催促がきて、やっと手が付いた。
箱がなければ仕舞うこともままならず、お雛様はまだ飾りっぱなしに違いない。まぁそこは友達だからということで、大目に見てもらっている。
ところがそれが幸いしたのかどうか、娘さんにやっと結婚が決まったという報告もあった。それは目出度し。
桐箱は大小5つあり、それぞれにスライド式の蓋が付く。大きなのは中を幾つにも仕切ってあるから、全体としては大きな雛飾りと思われる。
明治大正までの古さはないとしても、おそらく戦前のものだろう。
5つの桐箱は、2つの大きな柳行李(ヤナギコウリ)に入ってきた。
柳行李は本などで知ってはいたが、見たことはなかった。
これがあのヤナギコウリなのっ?て感じで自信がない。たまたま用があって工房に来た近所のお爺さんに確認したら、柳行李だった。
柳行李は蓋のない衣装箱のたぐいである。
籐よりはちょっと太目の柳の枝を、ムシロ状に編んだものを(といってもムシロを知らない人もいるだろうけど)、箱状に折り曲げて形を作り、外側に麻布を張って補強している。
それにしても、こんなしなやかで細くて径も均一な柳の枝って、どうやって集めるのだろう。
さて桐箱のほうは、どの箱も蓋も、板が外れたり、割れたり欠けたりしている。
それをセロテープとガムテープをこれでもかと貼って、何とかつなぎとめている状態である。
テープをはがして、割れたのを接着し、なくなった部分は補って・・・。
いちばん厄介なのは、桐箱にべとべとにくっついたテープの糊を落とすことだった。
こんなときいつも感心するのは、むかしの人が木をほんとうに大切に使っていること。
こういった収納箱や抽斗の場合、板の欠点のある部分や端材を寄せ集めて作られていることが多い。桐箪笥のような上ものでは使えない部材を、何とか生かそうとしている。
ぼくの仕事でいえば、ストーブの薪にしているような木っ端を、手間を惜しまず剥ぎ合わせて、とことん使っている感じ。昔は、木が今よりずっと貴重だったのだ。
「むかしは桐の木は伐採しても捨てるところがなかった」。
太い幹や枝はもちろんのこと、末端の小枝まで、葉っぱ以外は全部持ち帰ったという。
伐採業者のオジサンさんから聞いた話である。
「小枝だって樽の栓になった」。
ぼくもうっすら憶えにあるが、一升瓶が普及する前は、各家に醤油樽があった。おそらく醤油は樽で買うもので、樽からまず片口のような器に移し、それを醤油差しに小分けして使った。
その醤油樽の取り出し口の、蛇口にあたるところは堅い樫の木で作り、口を閉じる栓は柔らかい桐だったという。堅い樫は擦り減らず、柔らかい桐は穴に密着して漏れない。
当然ながら、柔らかい桐の栓は消耗品であり、桐の枝先の使い道が生まれた。
遠い昔ではない、畑の周りに桐の木を植えた時代があった。
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