空の光を遮るように、雲がどんよりと低く垂れ込め、そこからときおり粉雪がちらちら舞い落ちて来る。
往来に人の声はなく、風の音と波の音だけが遠くで鳴っている。
日本海側とは低い峠ひとつ隔てただけで、ほとんど吹きっさらしの琵琶湖。そのほとりで育ったわたしの、冬の印象である。
ところ変わって、ここ群馬県南部の冬は、カラッとしたお天気の日が続く。
前回雨が降ったのはいつだったか、ちょっと思い出せないぐらい降っていない。
陽はあるけども風は冷たくて、山で雪を落とした風が北西の方角から吹き込むものだから、寒がりのわたしには、ここの冬も楽ではない。
越してきた当初は、空気が乾きすぎて鼻孔の奥がヒリヒリ痛むことがあった。それでも身体が適応したのか、最近はそういうこともなくなった。
そのからっ風が材料をよく乾かしてくれる。木工をやるには都合がよい所である。
とくにウチのように、原木丸太を製材して自然乾燥して使うようなやり方には、適地かもしれない。
「また、けっこうすいてきたなぁ」
天井に貼られた杉板を見上げて思った。フローリングだって1ミリどころか、場所によっては2ミリ以上すいている。
乾燥した無垢材も、空気中の湿気によって若干伸び縮みをしている。そのため空気が乾燥してくると、板がやせて、目地の隙間が広がってくる。それが夏場になると、今度は木が膨れて目地の隙間がぴったりくっつく。これを繰り返している。木が呼吸しているといわれる由縁である。
ちなみに天井は杉板だが、床はナラ材、そして外壁を杉板で貼った。
どれも「さね加工」といって、板の片側に溝を掘り、もう片方には溝にぴったりはまるように出っ張りを付けて、板どうし嵌め込んでいる。
そのため、たとえ板がやせて少々隙間ができても、その「さね」が利いているので、板がめくれ上ったり、下地が見えてくることはない。
ちょっと話は古くなる。
最初に木工を習った訓練校(職業技術専門校)では、製図の授業があった。
田山という背の高い身なりのしっかりとした人が先生で、どこかの大学で教える合間に講師に来ている風だった。また、ご本人の口から聞いたわけではないが、「田山花袋」の家系の人だと別の先生が教えてくれた。
いっぽう教わる側は、一度社会に出てから出戻ってきたような連中がほとんどで、30人ひとクラスだけ。田山先生も気が緩むのか、冗談まじりののんびりした授業だった。
ある日の授業で、田山先生は件の「さね加工」の説明をしていて、いちばん前に座っていた柏崎君に尋ねた。
「柏崎、おまえ『さね』って何か知ってるか?」。薄笑いで聞いたのは、別のほうの意味。
柏崎君は、クラスに3人いた高卒したばかりの子で、まだあどけなさが残った。明るくていつもお茶目な彼は、先生からも、出戻り連中からも可愛がられる存在だった。
「知ってますよう、それくらい」。柏崎君は少し癪にさわったようす。
意外だった。
30をいくらか超えたわたしは知っていたとしても、柏崎君が知っていたのは予想外だった(古風で奥ゆかしい言葉ではあるが)。
田山先生も、柏崎少年はよもや知るまいと思って聞いたはずである。
先生は思惑が外れて、ちょっぴり残念そうだった。
「そうか」と言ったきり、その続きはなくなってしまった。
今更だけど、その続きを聞いてみたかった。
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