カマキリの顔は、縄文土偶にときどきあるような逆三角形をしている。
その逆三角の上側二つの角に、クリっとした丸い目がついている。そしてもうひとつの下側の角は口である。
覗き込んで見ていると、向こうでもこちらを観察している様子で、丸い目がくるくると動いている。
逃げようとする素振りもなく、カマキリはじっとこちらを見ている。その目のかわいいこと。
工房でそのカマキリを最初に見つけたのは、去年の9月のはじめごろだった。
甘楽木工房と屋号を彫った板の看板が道路側に掛けてあるのだが、最初はその看板にとまっていた。
わりと大きなカマキリだったので、朝いったとき、すぐさま目に留まった。入口の看板にいるとは、なかなかの目立ちたがり屋なのだ。
それから、ニ日三日に一度ぐらい、工房の入り口付近で見かけるようになった。
入口の壁際に外水道があって、地面から立ち上げた蛇口のまわりを取り囲むように、菊が自生している。
菊というのは、切っても切っても根があるうちは出てくるので閉口しているのだが、秋に花をつけると、菊もその間は切られずに葉を茂らせている。
カマキリも、そこらあたりにいれば葉陰に隠れて鳥から身を守れるし、たぶん餌の小動物も捕まえやすいということだろう。
何日か経ったころ、その外水道のすぐ上の板張りの壁にカマキリがいて、左の手に茶色いふさふさしたものを掲げている。よく見ると毛虫だった。
毛虫を捕まえて食事中らしい。そういえば下の菊の葉に毛虫が付いていたことがあった。
毛虫はもう大半が食われてしまって、あわれな残骸を残すのみなのだが、あろうことかカマキリのお尻からは、排せつ物が大量に飛び散っているという、何とも派手なパフォーマンス。
カマキリは手柄を僕に見せたくて、自慢したくて、そうやっているようにも思えるのだった。
工房にいて一人で仕事していると、たいていは、何も特別なことがなく一日が過ぎる。それが必要かどうかは別にして、楽しみというか、変化というか、そういう事に乏しいのだ。
そんな日々だから、カマキリの身の危険を顧みない(鳥にさらわれるかもしれない)大胆なパフォーマンスに、ますます親近感が増すのだった。
朝工房に行けばカマキリはどこにいるのか、何をしているのか、探すのが日課になった。
その日は暖かかったので、入口の引き戸を開けていたのだと思う。
カマキリが建屋の中に入ってきて、気が付いたら家具を置いている板の間を、すたこらとかっ歩しているではないか。
そこはちょっとダメだよ。ウンチでもされたら大変と、箒の先で丁寧に外に追い出した。
そしたらそれが気に食わなかったのか、カマキリは目の前の引き戸をものすごい勢いで登りはじめた。
僕の顔の高さまで来たところでピタリと止まって、「ちょっとなにすんのよ」って感じ。
鎌のような前足を振り挙げて、こちらを威嚇するような素振りをしている。
秋も深まると、カマキリのお腹が少し膨らんできた。
色も鮮やかなグリーンだったのが、いくらか茶色掛かってくる。
それからだんだんと、姿の見えない日が増えていった。
たまに見つけると、陽当りのある暖かいところでじっとして体を温めている。
カマキリは春に産まれて産卵するまでの7カ月ほどの一生だという。
やがて探しても探しても見つからない日がやって来て、いつかはと思っていたけど、それきり目にすることもなくなった。
どこかに卵を産んでるんじゃないかと、しばらく木の枝をながめたりしていた。
12月になると本格的な寒さがやってきて、季節の移ろいとともに、カマキリのことも次第に遠のいていった。
外に桟積みしてあるサクラの板が必要になって、年が変わる前にと工房に取り込んだのだが、10枚ほど積んであるのを上から一枚ずつはぐっていくと、最後のほうで板の端っこに、カマキリが産み付けた卵を見つけた。
淡い茶色のお麩のようなものが、板に張り付いている。
あらまあ、こんなところに産んだの。
そしてそのお麩の横には、例によって、排せつ物が派手に飛び散っているのがあの子らしかった。
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