妙義山は地元西上州の山で、昔も今も信仰の山である。
白雲山や相馬山といったいくつかのピークがあって、標高は1千メートルちょっと高くはないが、切り立った岩場が連続し、鎖を頼りによじ登るような難所が多く、危険度の高い山である。
滑落して大けがをしたというニュースをときどき見るし、過去には死亡事故も起きている。
山頂を目指すような人は、ヘルメットの着用は当然ながら、安全を確保するためのハーネスやロープも欠かせないとされる。
先日知り合いのMさんが、その妙義山に登った。
登ったのは妙義神社から「大の字」を経て白雲山へのルートで、「大の字」から先は鎖場が続く難コースである。山登りが趣味の私もそこは登ったことがない。山は好きだけどじつは高所恐怖症なのである。
登山をしていると、妙義山ほどではないにしても、垂直に近い岩場に取り付き、鎖につかまってぶら下がるような場面もでてくるが、下を見たときの恐怖は慣れるというものではなく、もうこの年になっては出来れば勘弁というのが正直なところか。
何年か前に連れ合いがガイドさんを頼んでその白雲山に登ったことがあったが、私は家で留守番だった。
岩登りが楽しいという連れ合いは、いつぞやはアイスクライミングといって、冬の凍り付いた滝を登りに行ったこともあった。
自慢するほどの体力も胆力も持ち合わせていない私は、登山といえば大樹がそそり立つ深い森の中や、なだらかな尾根道を歩くほうが楽しい。
さてMさんが独り白雲山目指して岩場に取り掛かろうというとき、山頂から下ってきた登山者に声を掛けられた。
その人はMさんを上から下まで眺めてから、
「本当に登るんですか?」といぶかった。
妙義山はMさんにしてみれば、地元だし何度も登っている山である。かつては子供を連れて縦走したこともあると言っていたがこれは無謀すぎるとしても。
Mさん、登山靴は履いているものの、ヘルメットは無いし着ているのは作業着だし、まるで難所に挑む格好ではなかった。
Mさんにとってはいつものことだけども、仕事の合間にぶらっと登りに来た感じだ。
それでこれは危ないと心配したその人から、なんとか引き返すよう説得されたという。
まあ同じ立場ならわたしも引き返すよう説得したかもしれない。
「オレも年寄りに見られるようになったもんだ」とMさんは悔しがるが、聞けば御年83才だというから何をかいわんやである。
もちろん登頂してきたらしいが、何度も登っているので特段のこともなかったけど、この日はレンゲツツジが咲いていて良かったと言って撮ってきた花の写真を何枚も見せてくれた。まぁその強靭な身体に恐れ入るばかり。
Mさんは、もとは製材屋さんだった。
わたしは原木丸太の製材でずっとお世話になっていたが、7~8年ほど前に道路拡張で工場を取られたのを機にMさんは製材を止めて、いまは簡単な木材加工の仕事をやっている。
Mさんとは仕事での繋がりが無くなったあとも、ときどきうちの工房に訪ねて来たり、こちらから訪ねたりの間柄である。
会えば木工の話もしないではないが、お互い山登りをするのでこっちの話題のほうが話ははずむ。
この日は、以前Mさんに教えてもらった新潟の山に先日登ってきたので、その報告がてらMさんを訪ねた。ということにして昼日中にでかけたけれど、梅雨の中休みで朝からカンカン照りの猛暑になり、暑い工房から逃れたかったのが本当のところかもしれない。
そしたらすっかりMさんの山の武勇伝を聞かされることになった。
富士山も今と違って昔は3合目までしかバスが行かなかったので、そこから夜通し登ってご来光を見て下りてきたと得意げに話すMさん。
若いころは疲れなんて感じた事はなかったけど、今はずいぶん体力が落ちたとこぼす。それでも山に入ると体がしゃきっとするのは、根っからの山育ちだからとも。
何度も登っている富士山に最後にもう一度行ってみたいけど、近年は混んでいるからやめた方がいいかと聞くが、聞かれたほうはまだ一度も富士山に登ったことがないのだからしょうがない。
Mさんと話していると、最近疲れやすいし体力が落ちたと感じている自分も、もう一度鍛え直さんといかんなという気持ちになってくる。
Mさんから元気をもらい、タッパーに詰めたお手製のクルミ入り山椒味噌までももらって、冷房の効いた事務所を出ると、強烈な日差しが空から襲ってきた。
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