- 2021.04.26.Mon
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ひたすら歩き続ける人がいる。
それが健康にいいからとか、ダイエットのためとか、そういうことではない。
目的も行先も決めずに、一日中ただひたすら歩く人である。
たぶん、何らかの内的な要求から、歩かずにはいられないのだろうと思う。
どこの街にも、きっとひとりふたりはいるのだろうけど、この町にもそういう歩き続ける人がいる。
小柄な男の人で、うつむき加減に、ひとりでトボトボと歩く姿をよく見かける。
見るのはたいてい、ぼくが車の運転中になのだけれど、道の駅の食堂で合うこともあるし、総合病院にいたこともある。そのときは転んで怪我でもしたのか、頭に包帯を巻いていた。
いつも買い物に行く隣り町のスーパーでもたまに見かけるが、車で行けばわずかな距離でも、歩けばなかなか遠いところである。
ある夏の日は、炎天下帽子もかぶらずに歩いていたり、また冬の雪が降りしきる中で、手ぬぐいで頬かむりをして歩くのを目撃したり。
顔は、これ以上日焼けしようがないほど赤銅色に焼け返り、歳もよく分からないが、きっともう老人といってもいい年齢だろうし、大丈夫かなって思う。
ただ、住むところはありそうだし、よく知らない人だから、それほど心配する必要もないのだけれど、それでも気になるのは、年に何回か、工房に来訪があるからである。
仕事をしていると、入口のガラスの引き戸が、がたがたと鳴って、人の声はしないし、風のせいかと思うけど、でもいちおう気になるので見に行ってみる。
すると引き戸がそろそろと遠慮がちに20cmぐらい開いて、その間から赤黒い顔がぬっと現れる。
かなりびっくりする現れ方なのだが、来るときは、たいていそんな感じである。
それで、
「何でしょうか」って聞くと、
「〇〇〇歯科よろしく」という答えが返ってくる。
というか答えにもなっていないけれど、実際にある歯科医院の名前だし、ご親戚なのか、ご近所のよしみかよくわからない。
照れくさそうに申し訳なさそうにそう言うと、踵を返してまたトボトボと歩き始める。最初のころはそんなやりとりが多かった。
またある秋に来たときは、戸を開けるといきなり柿の実をひとつ、さあどうぞって感じで、黙って差しだした。
近くの畑の柿の木からもいできたなって、ピンときたけど、もらわないのも何だし、
「あっ、どうも」っていただいた。
それで帰ってもらったと思ったら、しばらくしてまた入口のガラス戸が鳴った。
出ると、手にはさらにもうひとつ柿の実が。えっ―、また取ってきたの。
まあせっかくだし、二個目もありがたく頂戴した次第。
ぼくが工房にいないとき、来たこともある。
ちょうどその日は、仕事を手伝ってもらっている引田君がひとりでいて、応対した。
引田君は初めて見るおじさんが、ぼくの知り合いだと思ったらしい。
愛想よく出たら、おじさん、ズボンのポケットから5千円札を取り出して、いきなり引田君の手に握らせた。
引田君これにはびっくりして、
「こんなのいただけません」とひたすら固辞し、何とか引き取ってもらったという。
最後に来訪があったのは、去年の暮れだったが、そのときは戸口で、
「古材(ふるざい)は使わないか」と、めずらしいことを聞いてきた。
歩いていて、どこかで古材の山でも目にしたのか、うちなら何か役に立つと考えたのだろう。
ちょうどバタバタとあわただしくしているときで、
「うちは古材は使わないんで」
ぼくが素っ気なく答えると、いつものようにトボトボと引き返していった。
じっさい古材は使わないし、そう言うほか無かったが、ちょっと冷たい言い方だった気もしている。
そしてそれからは、しばらく訪問がない。
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- 2021.01.05.Tue
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冬の朝としては暖かい陽がさしていた。そとに出て、風に柔らかく揺れる竹藪をながめていた。
しばらくそうしていると、工房の前を通りかかった軽トラが、僕を見つけてブレーキを踏み、ここより一段低い道に止まった。
車の助手席の窓がすぅーっと下がり、運転している男が背をかがめてこちらをうかがうと、大きな声で聞いてきた。
「何かあるかぁい」
しばらく見なかった顔が、運転席の奥の方にあった。鉄くず回収の男だった。
男はもう半年、いや一年近く来なかった。コロナの騒ぎがはじまってからは、初めてだろう。
久しぶりなので鉄くずも少しはあると思い、
「あるよ」といって、ぼくは建物の中に戻った。
男は軽トラを前の方に進め、車を下りて入口に立つとあらためていった。
「何かあれば持って行ってやるよ」
「少しだっていいんだよ」
ひさしぶりに聞く、お決まりのセリフである。
切れなくなった丸ノコの刃が二枚、空き缶がいくつかと、材木を縛る帯鉄が少々。
集めてみたがそれぐらいしかないというと男は、
「これっぽっちか」と小声でぼやいた。
「まあいいから車に持ってきて」。
あまり接近しないように気を使っているらしい。
鉄くず回収業なら、年の瀬のおそらくカキイレドキというのに、軽トラの荷台には、壊れた金属製の雨戸が二枚載っているだけで、寂しいものだった。
ぼくは、持ってきたものを雨戸の上にバラバラと落とした。
男は礼をいうでもなく、おそらくはボランティアで来てあげていると思っている風である。そしてのたまうのであった。
「世の中かわったよぉ」
「世の中かわったよぉ」
二度くりかえした。
でも、何がどう変わったとか、具体性がなくそれっきりなので、
「鉄の値段が下がった?」と投げかけてみると、
水平にした手のひらを下に押し下げる動作をしてみせ、
「下がった」というきりだった。
でもそれは相場で変動するものだから、世の中が変わったというほどのことでもない。
何だかよく分からないが、日々街中を軽トラで流している者には見えてくる、世の中の変化があるのだろう。ぼくみたいに仕事場にこもっているような人間にはわからないけど。
男は、「じゃあまた」といって軽トラを出し、交差点を曲がって消えた。
それからしばらくして、アスファルトの上に軍手が片方、落ちているのに気付いた。男が車に乗り込むときに落としたようだ。
黒ずんで、ずいぶんくたびれた軍手。
拾い上げると機械油でも吸ったのか、ずっしりと重い。そのうえ指先にはいくつも穴が空いている。
白い木綿の軍手もここまでになると、何かを表現しているオブジェのようだ。
さてこの軍手、どうしたものかと思ったが、悪いけど捨てるほかないということになった。
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- 2020.07.15.Wed
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甘楽町で家具作りを始めたころから、仕事で出るノコくずやカンナくずは、近くの畑にある堆肥場に捨てさせてもらっている。木くずも他のものと混ぜて山に盛っておくと発酵し、やがて堆肥に変わるのだ。
その堆肥場の隅に、いまクルミの木が青々と葉を広げている。
このあたりではクルミを植える家を見ないから、自然に生えたものだろうと思う。
最初ここへ来た頃は、まだ背丈をちょっと超えたぐらいだった。
それがいまでは、傍の電柱を追い越しそうな勢いである。
山の木と違って平地の木の成長は早いもので、あるとき気がつくともう仰ぎ見るほどの高さになっていて驚かされる。
密生した葉のあいだには、ところどころ若草色の実をつけていて、それが風に吹かれて落ちたのだろう、木陰にいくつも転がっている。
オニグルミは僕の使う木の中でも、クリと並んで多くて、好きな木のひとつである。以前は、原木市場でいいものがあると買っていたのだが、最近オニクルミはめったに出てこなくなった。
それと、クルミの実(種)から搾ったクルミ油は、テーブル天板のメンテナンス用などに使っている。
クルミ油は国産品にはないようで、ネットで注文するとフランスからの輸入品が届く。100%純正で食用とあるから、フランスではパンやサラダにかけて使うのかしらと想像している。淡い褐色の油で、なかなか香ばしい匂いがする。
先日近くの山歩きをしたとき、登山道にやはりクルミの大木があった。
それを見あげていたら連れ合いが、クルミの実は野生動物の食料になるのかと聞く。
どうだろう。
秋になって実が落ちれば、外皮はやがて腐ってなくなる。としても、中のあの堅い殻を、リスやタヌキが割れるだろうか。
よほど丈夫な歯と強靭なアゴがないと、難しいに違いない。人間が使うクルミ割りの道具にしても、ペンチを大きくしたような金属製のものである。
ひょっとして、熊なら割れるかもしれない。
でも殻が割れたところで、ドングリや栗と比べ中の実の部分はわずかだ。
しかも売り物みたいに、きれいに実だけ取り出せるわけじゃない。きっと殻のかけらが混じっているから、食べても口の中でガリっガリっと歯にあたるだろう。食感がすこぶる悪い。
苦労のわりに報われるところが少ないので、熊だってそんな面倒なことやらないんじゃないかと、これはぼくの想像である。
子供のころ、家の前を流れる川の土手にクルミの木があった。
秋になると大量の実を落とすのだが、それを拾って食べることはなかった。
落ちた外皮が腐って汚らしく、触る気もしなかったからである。
ましてそこから実を取り出しきれいに洗うなんて、子供には面倒すぎる。もっといい方法があったのだ。
ぼくの家は琵琶湖のほとりから、ほんの5分ほどのところにあって、子供のころは琵琶湖が遊び場だった。
水際の砂浜には、いろんなものが流れ着いた。
流木、ヨシ(葦)、漁具、死んだ魚、プラごみなどなど。そんなものと一緒にクルミも流れ着いた。
どこかの川辺で実を落としたのが、増水のとき琵琶湖に流され、波間をゆらゆらと運ばれてきたのだろう。砂浜に上がるころには、外皮はすっかり剥がれ落ち、きれいなクルミになっていた。殻が固く閉じているから水は中まで入らないらしく、食べるのは何の問題もない。
浜辺をしばらく歩くと、10個ぐらいはすぐ見つかった。
それを拾って帰って、物置から金づちを持ち出し、石の上で割るのである。(何だか縄文時代の採集生活みたい。)
クルミは無造作に割ろうとすると、ぐしゃっと中身ごとつぶれてしまう。
そうなると、食べるのが大変、あとで堅い殻のかけらを噛むことになる。
殻の合わせ目が上にくるように石の上に置いて、そこをめがけて一撃を加えれば、殻はきれいにふた手に割れる。
しかし毎回そう上手くいくとは限らない。
首尾よく殻がきれいに割れて、実が粉々にならずに大きいまま取り出せたときは、ご満悦だった。そんな気がする。
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- 2020.01.13.Mon
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その初老の男は、3ケ月に一回が、あるいは半年に一度、ふらりと僕の仕事場に現れる。
わたしはその男が、どちらかといえば嫌いなのだが、そんなことはお構いなしに、定期的にやってくる。
引き戸がガラガラーと、勢いよく開いたとおもうと、コンニチワの声。
その「コンニチワ」のアクセントに特徴があるので、姿を見ずともその男とわかる。
行くと入口に愛想のない顔がぬぅっと立っていて、そして言うセリフはいつも決まっている。
「何かあるかい」
「あれば持って行ってやるよ」
男は、鉄くず回収に廻っていて、途中ウチにも寄るのである。
前に止めた軽トラックの荷台には、錆びたパイプや壊れた自転車だのが無造作に放り込んである。
うちは木工所だから、鉄くずなんかそうは出ないが、工房の中をさがせば少しは集まる。
切れなくなった鋸刃や空いた塗料缶、材木を縛ってあった帯鉄、針金やビス釘のたぐいまで集めれば、バケツ半分ぐらいにはなる。
「まあ、こんなぐらいしかないけど」と、いちおう恐縮するぼくに、言うことはいつも同じで、
「いいんだよ、いいんだよ。少しだっていいんだよ」
もちろんそれっぽっちなので、お金のやりとりはない。
こちらも不要なものが少し片付くので助かる、ともいえる。おたがいフィフティーフィフティーの関係。
だけど、オジさん、何か言い方が違うんじゃないかって、いつも思ってしまう。
一般論として、オジさんにとっては飯のタネの鉄くずを、たとえ茶碗一杯でも、提供してくれた人は、おじさんにとってはお客さんになるわけで、「やってあげてる」みたいな言い方は違うんじゃないか。
いや、ありがとうございますの一言があってもバチはあたらないと思う。
それはいまどき、子供でも分かりそうなことだけど、オジさんはこれまで、そんな常識というか世渡りの知恵と無縁に過ごしてきたのだろうか。
他人の下で働くとか、お勤めに出るとかすれば、当たり前に身に付くことだけど、そんな経験もなかったのだろうか。
お愛想でも、ありがとうございますってぺこりと頭を下げれば、家々からお呼びが掛かるかもしれないのに、なんて思うのだが。
まぁ大きなお世話かもしれないし、聞き流せばすむことなので、意見することもなく過ぎている。
ぼくが鉄くずを集めている間に、オジさんは工房を見回しながら独り言のようにいう。
「やっぱ木のニオイはいいねぇ」
「オレは木のニオイが大好きだ」
またこうも言う。
「手に職があるってのはいいねぇ」
そんなにいいことばかりじゃないけど。
ところで、オジさんの人生はどんなものだったのですか?
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- 2019.02.10.Sun
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職業について聞かれたときどう言えばいいのだろう。
ひとは僕のことを、家具職人だとか、家具作家とか、家具屋さんとか木工屋さんとか呼ぶのだけど、どうもすっきりとこないでいる。
家具職人というと、町の木工所でそろいの作業服着て働いていそうなイメージだし、家具作家なんて持ち上げられると、ひな壇に座らされてるみたいで、なんだか落ち着かない。
家具屋さんだとお店の人と勘違いされるし、木工屋さんは建具も家具も木型も太鼓のバチからお椀まで守備範囲が広すぎる。
それで自分から名乗る必要があるときは、「家具作ってます」ということが多い。
でもそれじゃ職業名とはいえないし、名詞形では何て言えばいいかと考えたことがあるが、適当なのが思い浮かばなくて、まあそこは何でもいいやということになった。
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