- 2018.03.28.Wed
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食卓で使う椅子を、うちの工房では今のところ2種類作っている。サイドチェアとダイニングチェアと呼んでいて、どちらも肘乗せがないタイプだ。
肘掛け椅子、いわゆるアームチェアはないのですか?
そういう要望を、これまで何度かお客さんからいただいた。
そのつど、言い訳がましく、
食卓ではずっと座りっぱなしという人もいるけど、普通は立ったり座ったりするものだから、肘掛けがあると返って邪魔になりますよ。
また、アームチェアはお行儀よく、まっすぐ前を向いて座る椅子。でも、ときどき横座りとか、したくなりませんか。
あれこれ理由つけて、一向に取り組もうとしなかったのは、つまるところ、いい椅子ができるという自信がなかったからだと思う。
シンプルで品があって、作りやすくてリーズナブルなアームチェア。作るからには、皆さんからいい椅子だって褒めてもらいたいし、なにより仕事であればコンスタントに売れる椅子でなくては。
大げさだけど、一念発起して設計を始めたのが、去年の8月だったか。
1週間ほどかけて図面を引いた。椅子の設計には、時間も手間もかかるのだ。
それから次の段階の試作に進むわけだったが、どうもこれでよしという気になれなかった。
もう少しよくなる気がするけど、どこをいじればよくなるのか、自分でもそれが分からない。頭の中が煮詰まった状態というか。それで、少し間をおいて考えてみることにした。
椅子の場合図面は原寸図なので、割と大きな紙になる。それを合板に貼って、いつも目につくように立てかけて置いた。
そうやって仕事のあい間にときどき眺めてはいたものの、そうこうしているうちに忙しくなってきて、ひじ掛け椅子はひとまず中断。図面の方は工房の隅っこに追いやられて、そのまま年を越してしまった。
しかし、あんまり間があくのも考えものです。
すぐに注文があるわけじゃないし、いずれまた余裕のある時考えることにしよう、などとずぼらな考えが頭をもたげるわけで、われながら、ちょっと諦めかけてるパターンだった。
ところが救世主現わる。
年が明けしばらくたったころ、友人で建築家の徳井さんがお客さんを伴ってやってきた。
注文は、大きな変形の丸テーブルと椅子が4脚という話で、椅子は迷っておられたものの、うち2脚は工房に見本が置いてあるダイニングチェアに決まった。もう2脚はゆったりできるものがいいという。
いろいろやりとりするなかで、やっぱりアームチェアがあればなぁと思うのだが、残念ながら今のところモノがない。
でも話のネタぐらいにはなるかなと、例の原寸図を引っ張り出して見せた。
「実は、アームチェアの図面までは描いたんです」
「手直しをするところもたくさんあるし、いくらなんでも図面だけで決められないですね」
ふつうはまだカタチにもなっていない椅子なんて買わない。
だけど、徳井さんは大胆にも、
「それでいきましょうよ」なんて言いだした。
そういわれると自分も、いったん逃げかけていた気持ちが、また戻って来る気がして、まんざらではないのだった。
徳井さんに促され、残りの2脚は、未だ見ぬアームチェアにしてもらった。
まあそれでいいと言ってくれるお客さんと、尻を押してくれた徳井さんに感謝である。
作り手としては、仕事になればもうやるしかない。そして5月になれば、その締め切りがやってくる。
ここ何日か、原寸図面の手直しを始めた。4月に入れば試作をし、それを手直しして本番という段取り。
仕事はお尻が決まらないと始まらない。わたしだけかな。
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- 2018.02.16.Fri
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家具の納品や材木の運搬で使うバンは、貨物車という扱いになり、車検が毎年やってくる。
もう10年以上前から同じ整備工場に出しているので、車検が近づくと、そこから車検のお知らせが届く。それでもまだひと月以上先だからと、しばらく放っておくと、今度は電話がかかってきて、いつ予約をされますかと言ってくる。
隣町にあるその整備工場は、元々家族経営のだったのだが、今は整備士だけでも7~8人はいるようで、その業界では大きくやっている方だと思う。みなテキパキと働く。
毎回うちのバンの担当は決まっているらしく、30代後半ぐらいの感じのいい整備士が付いてくれる。
車検は、立ち合い車検というのか、一時間ちょっとで終わる方式。自分で持ち込んで、そのまま乗って帰れるので、これだと忙しい人は助かる。
また届いた案内には見積り価格が記されていて、交換部品や修理箇所がなければその値段で済む。
また何か不具合が見つかっても、本人立ち合いのもと、この部品はあと1年は持ちますが次回の車検では取り換えになりますとか、だいぶすり減ってきているので取り替えた方がいいが、ついては部品代がいくら、手間賃がいくらかかります、というようにこと細かく説明してくれる。明朗会計なのである。
バンは走行距離が12万キロを超えた今も、毎年車検時に見てもらうだけで、これまで大きな故障はなく、その点では信頼し安心して任せていた。
ところが去年の夏前に、材木の買い付けに福島に行ったときのことである。
高速道路を3時間ほど走行したあと、峠を抜ける国道を走っていたら、微かではあるがゴトゴトと振動音がしているのに気付いた。車の足回りから音がするみたいで、最初は道路のデコボコを拾っているのかと思ったのだが、路面がそんなに荒れているわけでもない。
そこで車を止めて床下と足回りを確認したが、見たところ特に変わったことはなさそうだった。
気のせいぐらいに思ってまた走りだしたものの、やっぱりゴトゴト音が止まない。気持ちが悪いというか落ち着かないので、また車を止めた。
このときは仕事を手伝ってもらっているH君も一緒だったので、二人で何だろうねなんて言いながら、這いつくばって床下を覗き込んでいた。
原因も何もよく分からない、半ば諦めかけていた時だった。
「ナットが回りますよ」とH君が声を上げた。
左の後輪のタイヤを固定しているナットが、指で回るというのだ。しかも6個あるナット全部、指でクルクル回るというのである。
こんなことってある?
峠の山道で、二人で顔を見合わせてしまった。
前回車検に出して以来、今日までタイヤ交換もパンク修理もしていない。
子供のいたずらで回せるようなものではないし、走っているうちにタイヤホイルのナットが緩んできたなんてことが、あるとは思えない。仮にあったとしたら、それはそれで大問題である。
あれこれ考えるに、車検で一旦タイヤを外したあと、取り付けるとき締め忘れた、それ以外無いのではないか。そういう結論になった。
整備工のお兄さん、頼りになりそうな感じだったけど、こんなこともあるんだ。
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- 2017.11.26.Sun
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ここひと月ほど前から、左手の親指の付け根が痛い。何かを握るような動きをすると、痛みが走るようになった。
どうやら腱鞘炎(けんしょうえん)らしいが、まだ今のところ医者には行っていない。
たぶん行ったところで、「左手を使わないでいれば治る」と言われるのだろう。何年か前の肘痛のときも、そう言われたのである。
ただ分かっていても、仕事があると休むわけにもいかず、何とかごまかしながら過ごしている。
11月初めにようやく仕事が一段落し、少し時間ができた。
それで、前々から気になっていた女房の実家の草刈りに行った。実家は高崎にあり、今は草刈りをする人もいなくなったので、僕が年に何回か出かけている。
その実家にある物置小屋で、女房がかつて陶芸をやっていたことがあって、今はそこで女房の友達だったチエさんが、陶芸教室をしている。
チエさんは毎回いるわけではないが、陶房にいれば、草刈りが終わった僕にお茶を入れてくれる。
チエさんに手の痛みの話をすると、これこれ、これをつけてみれば見ればといって、小さなスプレーを棚から取り出した。
透明のプラスチックボトルには薄茶色の液体が入っていて、番茶ぐらいの濃さである。
それを痛いところにシュッと噴霧すれば、痛みがやわらぐという。
チエさんも相応のお年なので、たぶんあっちが痛いこっちが痛いは年中のこと、常備しているものらしい。
「何なのこれは?」
「ビワの葉。焼酎に浸けて作るの」
大量のビワの葉をホワイトリカーに浸け、半年以上寝かしたものだという。
手首に吹き付けると、確かに梅酒みたいな甘い匂いがする。
半信半疑だったけど、付けてしばらくすると、本当に痛みがすぅーと引いた。
また痛みが出てきたら、何度か繰り返して吹き付けるらしい。
「とりあえずそれしかないけど使ってみれば」、「無くなったらいつでもあげるから」と言ってくれた。
腰痛や関節痛、火傷の痛みもこれでよくなるらしい。鎮痛と炎症を抑える効果がある、とのこと。
ビワの葉と聞くと、ちょっと懐かしかった。
実は女房が闘病中に、やはりビワの葉をすり下ろし、小麦粉と混ぜて湿布を作っていたからである。たぶん民間療法では、ビワの葉の効果は古くから知られているのだろう。
そのころはまだ工房の裏手に、大きなビワの木があった。
たぶん自然に生えたと思われるその木は、石垣の隙間に根を張っていて、季節になれば実もつけたし、木に登れば葉っぱはいくらでも手に入った。ビワの葉には困らなかった。
ただ何年か前、木が余りにも大きくなったからか、僕のいない間に伐られてしまった。大家さんが気を利かして誰かに頼んだらしい。
チエさんはビワの葉スプレーなら自分でも作れるといい、僕が忘れないようにレシピを紙に書いてくれた。
ホワイトリカー2リットルにビワの葉150グラム。
簡単である。ビワの葉の湿布は作るのが大変だったけど、焼酎浸けなら作れる。
以前はそういう民間療法をあまり信じなかったが、今回は不思議なことにやってみようという気になっている。
それにはまず、ビワの葉を大量に集めなくては始まらない。
さてどうしたものか。近くの里山にでも分け入れば、自生しているだろうか。
工房の裏のビワの木に登って、葉っぱを取ったころが思い出される。
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- 2017.06.20.Tue
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材木にも相場があって、これくらいの丸太なら、あるいは板材なら、今だったらこのぐらいの価格というのはいちおうある。
それは樹種と木のグレードによって違ってくるのだが、基本は立方単価と材の体積をかけて価格を決めている。
市場や大きな材木屋さんはこの方法でいいのだが、個人でやっているような材木屋さんの、通常の取引ではない、ちょっとイレギュラーな取引では相対で決めることがある。
なにせ丸太一本、板1枚まったく同じものはないので、売り手と買い手が材を挟んで、その場の交渉で値を決めることになる。
そんなとき材木屋さんが、「値段はいくらでもいいから」とか、「そちらの言い値でいいよ」なんて投げてくることがある。しばしばあるので、業界の常套句みたいなものなのかもしれない。
またきたかと思う。
日本中どこへ行こうと、モノの値段は売り手が決めて、客は納得すれば買うのであって、買い手が値段を決めるなんてことは普通ない。
それではお言葉に甘えて、ちょっと安目に値を付けると、それじゃ仕入れ値にもならないとか、製材賃が高かったとか、これはなかなかお目にかかれない材だとかいって、思わぬ抵抗に会う。
ちっともこちらの言い値じゃないのだ。それなら最初から幾らだって言ってよ。
材木屋さんの頭の中には、このぐらいは欲しい、このぐらいで売りたいという値段があるのだろうけど、それは伏せておいて、客に希望価格を言わせる。ちょっと面倒くさい。
例えば仮に、材木屋さんが10万円で売りたい材があるとする。
買い手の言い値が8万円だと、先ほどのようにいろいろ理由を付けて、材木屋さんは10万円までもって行こうとするだろう。買い手が応じなければ、お流れにすることもできる。
言い値が10万円だとすると、それで交渉成立。売ってもいいし、相手の顔色を見て、「悪いけどあと少し乗っけてよ」とかお願いしてみるもよし。
買い手がよほど欲しい材で、あるいは価値がよく分からなくて、15万と値を付けたら、そのぐらいが相場でしょうねと言っておく。高くてもあくまで買い手の言った値段だから、ごっつぁんです。
なんて具合に、後出しじゃんけんみたいなことができる。
ちょっと意地悪な見方をすればそうなるのだが、さてどうでしょう。
振り返れば、若いころは幾度か高い買い物をした気もする。しかしながら、何ごとも授業料を払わないと上達しないのだ。そう思うことにしている。
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- 2017.02.27.Mon
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「私もスマホに替えようかな。ニシカワさんどう思う?」
年の離れた友人にそう聞かれた。
出かけた先で、ぼくがスマホで写真を撮って、ほらきれいでしょって見せたら、欲しくなったらしい。
でも彼女たしか78歳だったかな。
「誰か教えてくれる人がそばにいればいいけどね、難しいかな」
彼女は去年パートナーを亡くして、独り暮らしである。
そういう僕だって、おととしの暮れにガラケーから替えたのだから、スマホはまだ1年ちょっと。
いくつかの面倒な設定は連れ合いにやってもらい、娘に使い方を教わりながら、やっとのことだった。とても使いこなしているとは言えない。
先日納品に行った先は、新しい住宅地だった。
初めての土地でも、たいていは車のナビで目的地まで行けるのだが、もう10年以上前のナビなので、新しい番地だと出てこない。
高速道路なんか、圏央道の八王子より先はないし、北関東道は大田で終わっている、というしろものなのだ。町村合併なんかしていて、地名が変わっているともうお手上げのナビである。
納品先である新築住宅の近くまで来ていることは間違いないのだが、どれも新しい家ばっかりなので見つけられない。まだ表札のない家も多く、番地の表示がない所をぐるぐる回ってはみたが、電話して聞いた方が早そうである。
そこでお客さんに電話をかけた。
「近くまで来てるんですけども・・・」
「いまどこにいるんですか?」
「学習塾のところを入って来て、右に曲がってその辺りなんですけど・・・」
「えぇーどこだろう?」
「さっきカフェがありました」
「カフェー?」
「コンビニがなかったですか?」
「いやなかったなぁ。何処のコンビニですか?」
らちがあかないとはこのことである。
そのときふっと、いま手に握っているこのスマホにもナビがあるのを思い出した。
最新情報の地図にGPS。そうかその手があった。
「あっ、ちょっと待っててください。車のナビが古くてだめなんで、こんどはスマホのナビで捜してみます」
そこでいったん電話を切った。
以前ムスメに教わったやり方で、地図を表示。
行き先の住所を入力。
ナビを開始。したつもり。
しかしいっこうに案内が始まらない。なんで?
もういちど住所を入力。
ナビ開始。してくれない。
あれぇ、やり方忘れちゃってる。
そういうぼくにしても、高いお金を払って肝心なとき使えないのである。
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